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天星稲荷神社には玉垣がなく、森すべてが神社の境内のようなものだ。けれど、社の周囲以外は整備されておらず、社から離れるほどに足場が悪くなるため、地元民でも滅多に奥へは入らない。
雑草が生い茂り、木の根がむき出しになっている森の中を、白い小道が伸びている。
等間隔に置かれた灯篭の灯りが小道を照らしているが、灯りの外側は真っ暗な闇に覆われて、かすかに木々の輪郭が見える程度だ。
道の先にあるのは別の社なのか、それとも休憩所とかなにか別の施設でもあるのだろうか。
森自体がそれほど広くはないので、すぐになにか見えてくると思っていたのに、脇道は思ったよりも長く続いている。時間は確認していないが、歩き出してから五分くらいは経っただろうか。一本道なので迷うことはなくても、僕はだんだん不安になってきた。
この先になにかあるとしても、わざわざこんな遅い時間に探検しなくても良かったよな。
やっぱり、また出直そう。そう思い、引き返そうと方向転換したときだ。
バサバサバサッ!
すぐ近くで、大きな鳥の羽ばたきのような音が聞こえた。木の葉が舞い散り、僕の足元にも落ちて来る。
フクロウでも飛び立ったのかと、音のしたほうに顔を向けた。すると、小道から少し離れた森の中に人の気配があった。
「……あ~、しんど。たまに飛ぶと肩凝るわ。っていうかなんか目が回る。マズイな、これは。翼が鈍って、いざというとき墜落するんじゃねーか?」
若い男性の声だが、なにやらひとりでぶつぶつ言っている。
飛ぶ? 翼? 一体なんの話だ?
「河童の川流れはいいが、天狗の飛び損ないはマジヤベーだろ。しかも飛んでる最中に墜落したら大事故だから。死ぬから。けどまあ高度百メートルくらいならギリセーフか。いや、さすがの俺でもそれはやっぱ死ぬか?」
長い独り言だ。そして話し方がチャラい。
聞くともなしに聞いていたが、まるで意味がわからない。今度は墜落とか死ぬとか、物騒な単語が聞こえた。
それにしてもどこから来たんだ、あの人。
こんな真っ暗な森の中にいきなり現れるなんて、怪しすぎる。しかし僕だって同じことをしているので、ここで逆になにをしているのかと問われたら答えにくい。
顔を合わせたくない雰囲気の相手だし、向こうがこちらに気づかないうちにそっと逃げよう。
足音を忍ばせて歩きだそうとしたところへ、男が近づいてきた。灯篭の灯りの中に、その姿が浮かび上がる。
一瞬、山伏かと思った。
黒い法衣に結袈裟という、独特な格好だったからだ。僧侶にしては髪は長めだが、山籠もりして降りて来たばかりの修行僧に見えなくもない。
けれど、それにしては強烈におかしな点がひとつある。
男の背に、大きな黒い鳥の翼がついているのだ。
烏のような、堕天使のような――というより、この格好で翼があると天狗を連想する。
そういえばさっき『天狗』と聞こえなかったか? もしかして、これは天狗のコスプレなのだろうか。
でもなんで、こんな場所でこんな時間に天狗のコスプレを? なんの需要があるの? ただの自己満足?
わけがわからなすぎて、やはり怖い。
僕に気づいたらしく、男も立ち止まってじっとこちらを見ていた。変な格好をしているくせになかなかの美男だ。ワイルド系で目力が強くて、無言なせいかやけに迫力がある。
「おい。もしかしておまえ、俺が見えてんのか?」
いきなりそう聞かれて、僕は首を傾げた。
「見えてるかって……見えてますけど?」
「は? なんで? 俺のこの姿が見えるって、おまえ何者? 陰陽師? 修験者? それともイタコとか、道士とか……エクソシストは縄張りが違うよな」
「ど、どれでもないです! ただの一般人です!」
僕は慌てて、両手と首を同時に振って否定した。
なにを言われているのかまったく理解できない。けれど、彼がこちらに対して好意的でないことは感じられた。悪意というのではなく、なにかを警戒しているようだ。
男は猛禽類を思わせる鋭い眼差しを僕に向けている。金色の光を反射しているのは、カラーコンタクトなのだろうか。天狗の目の色は知らないが、羽根なんか本物みたいだし、コスプレの完成度が高いな。
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