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根絶
三日ぶりに会った舞子が突然、変なことを言い出した。
「あなたになりたいほど愛してる」
浮気がばれてしまったのか。
俺は、舞子から目をそらした。
「あなたの臓器をちょうだい」
舞子は、真剣な顔で俺に迫ってきた。
「なに言ってるんだよ」と、彼女を相手にせず、舞子の腕を振り払った。
「今日は、俺がごはんを作るから。野菜炒めでいい?」
舞子は返事をしなかった。
このままでは浮気のことを問い詰められる。
逃げるようにキッチンに向かい、不慣れな料理に精を出した。
料理が出来上がると、舞子の前に、マヨネーズとしょうゆを差し出した。
「ほら、いつも白米にマヨとしょうゆをかけるだろ。かけてやろうか?」
俺は、湯気が立つ白米にマヨネーズをたっぷり入れてしょうゆをかけ、箸で混ぜてやった。
舞子は、うつむきながら黙ってそれに手をつけた。
舞子とは付き合って一年が経つ。
いつも明るく元気な舞子が追いつめられたように暗い顔をして変なことを言い出したのはやはり俺の浮気が原因なのだろうか。
一層のこと浮気のことを問い詰められた方がありがたい。
その方が別れ話を切り出せる。
それなのに舞子は、全身に陰気な影を落として意味不明な言動を繰り返した。
「そのキャベツも、豚肉も、あなたの胃で消化されて小腸を通って大腸に到達するのね」
しゃべり方まで変わっている。
俺のことを『あなた』なんて呼んだことないのに。
まるで倦怠期を迎えた妻みたいなしゃべり方だ。
「まあ、そうだな」
「あなたの胃も小腸も大腸も私にちょうだい。私の身体に移植して私はあなたになるの」
「一体どうしたんだよ。なにか言いたいことがあるならはっきりと言えよ」
浮気をしておいて、そのことを責めない舞子に腹が立った。
「そのためにはあなたを殺すしかないわね」
舞子は、そう言うと突然立ち上がりキッチンへ向かった。
戻った舞子の手にはきらりと光る包丁が握られていた。
「分かった。ごめん。あやまるよ。俺が悪かった。だから、その包丁を置いてくれ」
「あなたの脳も心臓も全身の臓器を私の身体に移植すればあなたになれるの」
舞子は、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。
「分かった。落ち着いて」
俺は、ゆっくりと後ずさりしながら、どうするべきか考えた。
舞子を落ち着かせる方法はないのか。
それより臓器の移植って何だ。
全身の臓器を移植したら俺になれるのか?
臓器は俺でも心は舞子だろう。
そうか。それだ。
「分かった。臓器を移植して俺になりたいんだな」
舞子は、立ち止まり、こくりとうなずいた。
「臓器をくれるの?」
「いや。全身の臓器を移植するよりも魂を入れ替えた方が早くないか?」
俺の発言に舞子は包丁を下ろし、言葉を失った。
そして、しばらく考え込んだあと「たしかに」と言った。
舞子の手から包丁をそっと抜き取り、キッチンに片づけると、舞子は振り返った。
「でもどうやって?」
俺は、舞子の腕をとり、その場に座らせた。
「たとえば、交差点の角でぶつかるとか、一緒に雷に打たれるとか、一緒に階段から転げ落ちるとか」
舞子は、俺の話に真剣に耳を傾けた。
さっきまでの陰気さは消え、いつも通りの明るい彼女に戻った。
「よく、映画やドラマであるやつね!」
「そう! それだよ。角でぶつかるくらいの衝撃だと魂まで入れかわるのは難しいだろ? かといって雷はいつ発生するか分からないし、発生しても打たれるのが難しい」
「うん」
前のめりの彼女の瞳は輝いていた。
「そこでだ。一番確実なのは、一緒に階段を転げ落ちる。これなら魂を入れ替えることができる」
「賢ちゃんすごーい!」
バカな女だ。
夜中、舞子の自宅近くの神社に向かった。
三百段ある階段を上りながら時々振り返りあたりをうかがった。
階段の左右には木々が生い茂っていて、静寂に包まれている。
舞子の足取りは軽く、うれしそうにはしゃいでいた。
これから、何が起こるのかも知らずに……。
一番上まで到着すると、念を押した。
「絶対に声を出したらダメだからな。声を出したら人が集まって来ちゃうだろ? そうしたら魂が入れ替わったことが知られてしまうんだからな」
「うん! 分かった」
一度は好きになった女にこんなことをするのは不本意だが、仕方がない。
やらなかったら俺が殺される。
これは正当防衛だ。
「よし。行くぞ。俺が舞子を押したと同時に俺も落ちるからな。俺が、舞子の手を取るから、おまえは俺に触るなよ」
「うん! 賢ちゃんに任せる」
意を決して俺は舞子の身体を突き落した。
宙に浮く舞子の身体。
ストレートの長い黒髪が闇に浮かぶ三日月にかかった。
そして一人で階段を転げ落ちる舞子。
俺との約束を守って彼女は声を出さなかった。
踊り場でバウンドし、その勢いで三百段ある階段の一番下に到達したのを見届けると、俺は足早にその場を立ち去った。
翌日、舞子の友だちから連絡があった。
「舞子が階段から落ちて大変なことになってるの」
驚きの声を上げて、すぐに病院に向かった。
沈痛な面持ちの両親と、連絡をくれた友だちが酸素マスクをつけて眠っている舞子を囲んでいた。
「どういうことですか?」
口にしてから、セリフをまちがえたと思った。
「舞子!」とシンプルに名前を叫んだ方が突然の出来事に驚き悲しむ彼氏として正解だったのではないかと思いながらも、口に手を当て泣き顔を作って舞子のベッドに駆け寄った。
静かに横たわる舞子の手を取り、声を震わせて何度も名前を呼びながら考えた。
舞子が目を覚ましたら失敗したと言い訳ができる。
それよりも俺が突き落としたことが発覚してしまわないか心配だった。
「どうしてこんなことに……」
すすり泣く俺の背中で声がした。
「階段から落ちて……あの子、あの神社好きだったから、子どもの頃からよく通ってたの。こんなことになるなんて……」
母親は泣き崩れ、それを父親が支えた。
階段から落ちて……。
落とされたとは言っていない。
つまり、足を滑らせて自分で落ちたということだ。
安堵から大げさに両親に詰め寄った。
「目を覚ますんですよね? 覚ましますよね?」
母親は俺の言葉に声を出して泣いた。
「脳死だって」
代わりに友だちが答えた。
自分の運の良さに思わず笑みがこぼれそうになった。
それをごまかすために再び大げさに演技をする。
「脳死? まさか! そんな!」
初めて彼女の部屋に誘われた。
出迎えた彼女は白いエプロン姿で、部屋の中は玉ねぎを炒めた香りが漂っていた。
ベッドの端に腰かけて部屋を見回した。
ワンルームの部屋は白を基調としたシンプルな作りで、きれいに片づいていて、枕元には黄色いクマのぬいぐるみがあった。
テレビ台の上に紫色の光る石があった。
舞子も同じような石を持っていたなと思い出した。
たしかパワーストーンとか言ってたな。
「これ、きれいだね」
恵利花が振り返った。
手には、丸まったひき肉を持っていた。
「アメジストっていうの。最近、集めてるんだ」
恵利花はひき肉を両手で叩きながら質問した。
「ハンバーグ好きでしょ?」
「何で知ってるの?」
ハンバーグは俺の一番好きな食べ物だった。
恵利花は、フフフと笑った。
「だって少年はハンバーグ好きに決まってるもん」
「少年って……俺は大人だけど」
「賢ちゃん、少年みたいなところがあるから」
恵利花がかわいすぎて後ろから抱きついた。
「ちょっと~」
嫌がる恵利花もかわいい。
恵利花の長い髪から良い香りがした。
「香水変えた?」
「うん。どう?」
「いいにおい」
どこかでかいだことのある香りだった。
「もうすぐできるから、そっちで待ってて」
恵利花から引き剥がされると、フライパンからジューッという激しい音がした。
小さなテーブルにほかほかの白いごはんと、みそ汁、サラダ、ハンバーグが揃った。
ハンバーグはいびつだがハート形になっている。
二人で「いただきます」と手を合わせると、恵利花は立ち上がってキッチンに向かった。
戻ってきた恵利花の手にはしょうゆの小瓶が握られていた。
恵利花は、白米にしょうゆをひと回しかけた。
「お子様だな。白いごはんが食べられないの?」
恵利花は唇を突き出しふくれっ面をすると、サラダ用のマヨネーズを手に取った。
そして、それをしょうゆをかけたごはんの上にしぼり出した。
それを見てハッとした。
「最近、はまってる食べ方なんだ」
恵利花は、マヨネーズしょうゆごはんを箸でかき混ぜると口いっぱいに頬張った。
おいしそうにごはんを食べる目の前の彼女が舞子に見えてきた。
「これ、ソースね」
茶色い液体をスプーンですくうと、恵利花は、俺のハート形のハンバーグの上にソースをかけた。
前かがみになった恵利花の胸の前に長い黒髪が落ちた。
「ハートは真ん中で割っちゃダメだからね」
そう言うと恵利花は、髪を両手で背中になびかせた。
舞子も同じだった。
ストレートのロングヘアが胸の前に落ちると、必ずシャンプーのCMのように両手で背中に回した。
舞子に似ている。
無意識に同じような女性を好きになるのだろうか。
もしかして舞子なのか?
俺に復讐するために……いや、そんなことはあり得ない。
もう舞子はこの世にいないのだ。
その夜、恵利花がベッドの上でうつむいた。
「びっくりしないでね」
「びっくり?」
きょとんとする俺に、恵利花はブラウスのボタンをはずし胸を見せた。
彼女の胸には大きな傷跡があった。
赤い縦線がおへその上まで続いている。
「手術したの」
言葉を失う俺に彼女は恥ずかしそうに胸を服で隠し笑った。
「気持ち悪いよね。あははは」
「もしかして心臓移植?」
彼女は、目を見開いて驚いた。
「何で知ってるの?」
心臓移植で性格が変わってしまったというドキュメントを見たことがある。
嫌いだったものが好きになったり、おだやかだった性格が怒りっぽくなったり、性格や好みが別人のように変わってしまう。
心臓が変わっただけでそんなことがあり得るのか不思議だが、舞子そっくりの恵利花を前にして本当なのかもしれないと思った。
食事の好み、好きな物、好きな香り、仕草……どれも舞子と同じだった。
「私のこと嫌いになった? この傷、気持ち悪い?」
「いや、そんなことないよ」
「私、賢ちゃんのこと愛してるの。心臓も脳もすべての臓器を賢ちゃんと入れ替えたい。それほど愛してる」
恵利花は、俺に迫った。
彼女の言葉で恵利花の心臓が舞子のものだと確信した。
「落ち着いて」
恵利花の肩をつかんで座らせ、彼女に諭した。
「せっかくもらった心臓なんだから大切にしないと」
「賢ちゃんの心臓じゃないと意味がない。あなたの心臓をちょうだい」
今度こそ、舞子に殺される。
「分かった。恵利花は、俺の臓器を移植して俺になりたいほど愛しているんだな?」
「そうよ。分かってくれるのね?」
「分かるよ。俺も同じ気持ちだ」
恵利花は、胸の前で両手を握り目を輝かせた。
「でも、臓器を移植するなら、魂を入れ替えよう。そうすれば恵利花は俺になれる。そして俺は恵利花になれる」
舞子の心臓を宿した恵利花を神社の階段から突き落とした。
恵利花の長い黒髪が満月に重なる。
階段を転げ落ちる恵利花を追いかけた。
そして、階段下に倒れる舞子の心臓にナイフを突き刺した。
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