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子どもの頃から繊細だった。幼稚園の先生の声が大きすぎて心が乱され、登園拒否。相手の表情、声のトーンで感情が分かってしまい、勝手に疲れて体調を崩し、小学校も中学校も休みがち。一緒に暮らしている家族の場合も、言動や表情で次に何をしたいのか察して、気を利かせたつもりで先回りした結果、
「何で私のしたい事が分かるの?あんたってエスパーなの?」
と気味悪がられる始末。
想像力が豊かだと言えば長所のように聞こえるが、私の場合、想像しなくてよい事も勝手に想像してしまうのだ。例えば新しい事を始める時なども、目先の事だけでなく先の先に起こるかもしれないトラブルなども想像してしまい、怖くなってメンタルを崩す。
友達とケンカをした時もそうだ。ケンカをした後で、どうしてあんな事を言ってしまったのか、このままじゃ縁を切られてしまう、友達無しで私はどうしたらいいのか、そんな感じで無限に想像が広がり絶望する。しかし次の日その友達に会ってみると、ケンカなど無かったかのように相手は普通に話しかけてくる。絶望までした自分がバカみたいに思えてくる。
その友達を観察して分かった事がある。彼女は、はっきり言って鈍感なのだ。あまり物事を深く考えない。だから前に話した事を忘れている時だってよくあるし、忘れものもよくするし、失敗も多々ある。しかし、その失敗さえもすぐに忘れてしまうので、決して落ち込む事がない。全てを自分にとってポジティブに変換する彼女にとって、悩みなど存在しないのだ。
繊細で神経質な私にとっては信じられない性格だが、人生を楽しく生きる為には彼女のような鈍感さが必要なのではないかと気付き始めた。もう勝手に悩んで、勝手に傷ついて、勝手に人生に絶望するのはたくさんだ!そこで、私は神頼みという手段に出たのだ。
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