黒猫とわたし

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 大学四年の冬休み。いよいよ卒業式を来週にひかえ、その日はKさんのアパートの後片付けを手伝いに来ていました。 「まあ、ずいぶんスッキリしたわね!」  彼はいらなくなった物は潔く捨てて、まだ使える物は後輩にあげたりして、大きな家具や家電の類は既に運び出されていました。 「わたし、水回りのお掃除でもしようか?」 「いや、そういうことは後で自分でするよ。実はお湯が出ないんだ。もうガスを止めちゃったからね」  見慣れたカーテンすら外された殺風景な部屋に、私達の会話だけが驚くほど響きました。それにしても引っ越しという作業はどうしてこんなに寂しいのでしょうか。 「僕がちゃちゃっと分類するから、箱詰めを手伝ってくれないかな」  物をあまり持たない質素な暮らしぶりでしたから、おそらく段ボール十個もあれば全て収まってしまうでしょう。 彼の実家に送る荷物は引越し業者よりも宅配便を利用した方が安くつきそうでした。  ちなみに卒業後の進路はといいますと、私は家業を手伝いつつ翻訳の仕事でやっていくつもりでした。そして商社に就職したKさんは、最初の数年を北欧のノルウェーで駐在員として勤務することに決まっていました。他の会社もそうですが、もっとも大きな試練を最初の最初に課されるのです。  私が衣類を一枚づつたたみ直しながら箱に入れていた時です。 「あ、それは入れないで」と彼が言いました。私が手に持っていたのは、以前彼に選んであげた厚手のジャケットです。 「それはこっちだね」  受け取って、海外の勤務地に携えていくスーツケースの方に入れながら言いました。 「大事なものはなるべく持っていきたいから」  他には語学の勉強もかねて愛読していたヘミングウェイ短編集、ノルウェー語の日常会話ハンドブック、旅行先で一緒に買ったマグカップ、私のと色違いのボールペン、就職祝いに私が送ったネクタイ・・・。  私が冗談で、これはいいの?と飲みかけのお酒の瓶を差し出すと、彼は笑って答えました。「そんなのは現地で買うよ」  あんなに散らかっていた物達がやがてそれぞれの箱やかばんに片付いて一段落ついた頃、彼は私のほうに向き直り、姿勢を正してこう言いました――唐突に。 「きみも一緒に来てくれないか」  すぐにその言葉の意味を理解できずに私が固まっていると、彼はもう一度言いました。 「一緒に来てほしいんだ・・・。言っただろ?大切なものは持っていきたいって」
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