化粧人

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 今日持ってきている紅の中には彼女に合う色は無い。それならば今ここで作り出す必要がある。二つの色を混ぜ合わせて女性の唇に丁寧に筆で紅をさしていく。  そしてすべての化粧が終わった。派手ではないが華やかさを思わせる。深々と頭を下げると音を立てないように閂を抜き戸を開けた。スミが外に出た瞬間にすべての行事が終わりである。 「終りました」  その一言が音を出していい合図だ。村人たちはほっと胸を撫で下ろして家の中に入っていく。そして母を一番に見た娘は再びポロポロと大きな涙を流し始めた。 「きれいやわお母ちゃん。こんなきれいなお母ちゃんはじめて見るわぁ」 「ほんになあ」  近所の者たちもうんうんと頷きながら布団を取り囲んで女性の顔を拝む。 「きっとお天道様に照らされて極楽へと歩むでしょうから。陽に照らされた時一番美しく見える紅をひきました」 「ありがとうございます、ありがとうございます」  娘は泣きながら何度も頭を下げてお礼を言った。何かお礼をと言った娘に丁寧に断りを入れて、スミは帰ることを告げる。 「それにしてもずいぶんと若い。お母ちゃんの話では先代さんはお父上であったと聞いていますが」 「はい。父が亡くなり私が継ぎました。兄がおりますが、後を継ぐのを嫌がりましたので」 「なんてこと、こんな尊いことの後を継ぐのを嫌がるなど」 「昔からあまり金にならないこの家業を嫌がりまして。加えて好いた女が化粧人を嫌っておりました故。死者をベタベタ触る汚らわしい人間だと言っていましたから、家を出ないと振り向いてもらえないと思ったようです。結局相手にされなかったようですけど」  それだけ言うと今度こそスミはその場を後にした。  家に戻ってくると本当に珍しいことに人の気配がした。兄だ。 「何か御用ですか」  スミの顔を見た兄は忌々しそうに顔を歪める。昔から感情らしい感情がなく人形のような妹を兄はとても嫌っていた。 「仕事がなくなって化粧人として金を稼ぎたいからやり方を教わりにきましたか」  淡々と告げるスミの言葉に兄は苛々した様子で近くのものを蹴りつける。 「やり方を記した手習い書などがあるだろ、それをよこせ」 「そんなものはありません。すべて口伝です」  その言葉に兄は大きく舌打ちをした。仕事のやり方を教えてくれと妹に頭を下げるなど死んでも御免だ。そう思っていると意外にもスミはこんなことを口にした。
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