化粧人

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「その様子だとすでにお話を受けてしまったのでしょう。私がやりますから、あなたはそばで見ていて下さい」  そう言うと兄の返事を待たずスミは歩き始めている。行き先など聞いていないのに進んでいる方角は確かに豪商の家の方角だ。先日この家の若旦那が亡くなったばかりである。この辺一帯で一番の稼ぎをしていたので既に話が出回っているのだろう。兄はフンと荒々しく息を吐くと同じ方向に向かって歩き出した。  迎え入れてくれた家では家族がうやうやしく頭を下げながら部屋に案内してくれた。そもそも男が化粧をするなど馬鹿らしい、紅でもするのかと鼻で笑いたい気分だった。金持ちからは金をとっているのは知っている、これを済ませたら金だけもらってさっさとここを去ろうと決めていた。  家の者たちは皆スミにお辞儀をしたり声をかける。化粧人の現当主がスミだと知っているのだ。自分には一切声をかけないどころか見向きもしない家の者達に兄は苛つき始める。  先祖代々化粧人には世話になっているらしく、特に何も言わずとも家人は皆家から出て行った。そしてスミが戸に閂をかける。 「今から化粧始めたら、音を立ててはいけない……と言っても、あなたはどうせ聞かないでしょうから先に伝えておきます」 「偉そうに、何だ」 「音を立てていけないのは、亡くなった御方を起こさないためです」 「何を馬鹿な――」 「私が話しているときはお静かに」  冷たい声にびくりと体を震わせた。十五も歳が離れているというのに、妹の目つきは厳しかった父を思い出させる。 「亡くなってすぐは己が死していると気づいていません。死者を起こすと悪霊や悪鬼になってしまいます」  呼び戻されてしまった者はもう生きていた頃と同じではない。悪霊になってしまえば生者を恨み、悪鬼になってしまったら腹を空かせて襲い掛かって来る。そう説明すると兄は納得していないようだがわかったわかったと面倒くさそうに言った。  そして化粧が始まった。男性には男性に合った化粧がある。もちろん女のように頬や口に紅をつけるわけではない。血の気がなくなってしまった顔に血色の良くなる白粉をつけていく。
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