復活節の日

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 今は西暦で言えば3000年を少し超えた頃だ。  文明は高度に発達しきり、人間は食料に困窮することも労働の必要もなくなった。そして医療の発達により、死すらも克服しえた。  生が飽和した結果、その価値は相対的に低下した。多くの人間は長く生きることに興味を失い、自堕落に生きるか、自暴自棄に生きるかに二極化した。犯罪率は増え、治療を拒否する者も増え、安楽死と自殺率は増加の一途を辿った。  つまりニーチェが言うところの『高度な社会』はそのシステムの中で神を駆逐し、人々の心にその残滓を僅かに残すばかりで多くの者が拠り所とする頼りもなく、すなはち精神的な荒廃を止めることもできず、やがて人類は緩やかに滅びるものと思われていた。  けれどもそんな世界を覆したのもやはり神だったのだ。 「アデル、今日はとても天気がいい。風が吹いている」 「……」 「この塔はどこまでも見渡せていい。けど、この先の見えない向こう側にも地面や海が広がっている」  海抜丁度2000メートルのこの建物は『神の塔』あるいは『信仰の塔』と呼ばれている。人がそのままの組成で支障を来さない限界近い高度。あと100メートルも登ればヘモグロビンの酸素結合率が落ちてくる、そんなギリギリに天上に近い塔。この国の正しく中心で、特別な者しか立ち入れない特区となっている。  その尖塔の先から見下ろす世界の端は確かに弧を描き、その果ては白く煙っていた。そこに柔らかな西日が淡く差し掛かり、世界を涼し気なライトブルーから茜色にわずかずつ染め上げていく。  グインはここからの眺めが気に入っていた。段々と群青色に染まるその世界の移り変わりをとても美しいと感じていた。グインが手に入れることができる世界の全てがここにある。  強化ガラスで遮られたその向こうには強い風が吹いている。それが眼下にもくもくと浮かぶ雲の動きでわかる。  ふとグインが左を見ると、アデルはいつもどおり、どこかに焦点を合わせることもなく、ただ遠くを眺めていた。同じ方向を眺めれば、そこには丁度何もない空と海の境界線が見えた。遥か天空の星々を除けば、ここから最も遠くに見えるものだ。
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