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翌日は生憎の雨。
こんな日は辻立ちをしても客も少ない。参拝者があまりいないからだ。この白く美しい塔は晴天に映える。それにこの辺りでは遮雨システムが使えない。だから雨の日には傘をさしたり合羽を羽織らなければならない。この街の外では天候は予測されるものだ。珍しいからと雨に打たれに訪れる者もごくたまにいるが、せっかくの観光なら、晴れの日が選ばれる。
けれどもグインには他にやれる仕事もなかった。この世界には、そして特に塔の近辺では、芸術や先端技術に携わる者たち以外、わざわざ制度として作り出されたいくつかの仕事しか存在しなかったから。
ともあれ身支度をして傘を差し、街に出る。
しとしとと振りそぼる先に足を向ける。道は整備され、グインが前時代の資料で見たのと異なり水たまりというものが出来たりはしない。けれども見上げた灰色に重く煙る世界を眺めあげ、グインは今日は儲からなさそうだと独りごちた。そして今日はアデルに何も買ってやれないな、と思いを募らせた。
少し歩けば特別区と市街を隔てる門がある。とりあえずそこまで行って様子を見よう。そう思っていると背中から声がかかる。
「グイン。せっかくだから今日は私が雇おう」
「ヤハ。アデルはいいのかよ」
「今日は審判がない」
「……初めてだな。それならアデルも連れていきたい」
「それがお前の望みか」
「ああ。俺の望みは叶えられるはずだ」
グインは難しい顔をするヤハの表情を眺め、けれどもおそらく無理だろうと思っていた。
「……わかった。少し待て」
だからその、あっさりとした了承に拍子抜けし、そしてその効果に心を踊らせた。グインにとってアデルと外出することなど初めてだったし、それにそもそも許されるとは思われなかったからだ。
グインは自由に行動する権利を有しているが、アデルを自由にする権利は有していない。
しばらく待つと平服に着替えたアデルが現れた。
裁判がない日はとても珍しい。グインの記憶では初めてのことだった。
グインはアデルの手を取り歩き出す。グインの顔から笑みがこぼれたが、アデルの表情には何も浮かぶことはなかった。2人で特別区を出るのは初めてだ。このアデルにとっても特別区の外にでることは初めてだろう。だからグインは、アデルに何かの化学反応が起こることを期待した。
「満足か、グイン」
「ああ。上等だね」
「お前の行為は実に無意味だぞ」
音程を変えないヤハの呟きこそ、グインにとって無意味だった。グインにとっての日常は、それでも変化に満ちている。その変化がある以上、意味がないことなど、つまり他に何も影響を及ぼさないことなど無いとグインは信じていた。
「そんな事はお前に言われなくてもよくわかってる。それを言うなら俺にとっては全て無意味なんだろ?」
ヤハはその問いに答える言葉を持たない。
ヤハは決してグインが嫌いなわけではない。寧ろ明るく積極的なグインの人格には好意を覚えていた。けれどもグインはグインであり、ヤハは司祭である。全ては神が定めたものだ。だからこの関係性はもはやどうしようもない。
ヤハはその気持ちをいつも通り押しつぶし、幸せそうに跳ねるように歩くグインの後ろをただしずしずと付いていくしかなかった。
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