1章

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 その数字が、突然変わることになるなんて思ってもみなかった。その時僕は、H大学の2回生になって1か月あまり。周りの友人がどんどん大学の生活に染まっていく中、僕は高校の時とほとんど変わらず、垢ぬけない地味な大学生だった。髪型も起きた時のままで洋服は5個ぐらいの決まったシャツをずっと使いまわす。日常生活にはギリギリ支障が無いくらいだけど黒板はギリギリ見えないから、メガネをかけたり外したりする。だけどコンタクトにはしたくない。こういう風に、僕は見た目には全く頓着しない人間で、もともとの地味な容姿も合わさって、文学部の中でもかなり目立たない、日陰にいるような存在だった。自分の容姿を改善したいと思わなかったわけではない。ただそれ以上に自信の無さから、一歩を踏み出すことができなかった。服装や髪型をいじったところでほとんど変わらなかったら、変に注目を浴びてしまったりしたら、それ以前に見た目を良くしたところで、自分のような人間に何の意味があるのか、と卑屈な思考を一度持ってしまうと、そこから抜け出すことは容易ではない。一番敏感な時期に植え付けられた自己肯定感の低さは、「星の王子様」に出てくるガジュマルのように僕の心に根を下ろし、ジワジワと締め付けてくる。これは、同じ気持ちを味わった人にしか分からないだろう。1月ごとに美容院に行ったり、自宅には常にファッション誌が置いてあるような人種には一生かかっても分かるまいと思う。  別に、自分がそういった人種になりたいと思っているわけではないけれど、なぜか彼らを見ていると自分の中の劣等感が刺激されてしまう。自分と比べて、もっと多くのものを持っているような気になる。楽しみも友人も恋愛も、僕よりもはるかに多くのことを経験しているように思える。特に恋愛においては、僕はまだ誰かと付き合ったことがない。恋愛なんていう個人的な事柄は、他人と競争するものではないと分かってはいるつもりだけど、大学で変わらない日々を重ねるごとに僕の心は焦燥感に駆られる。どんなに刹那的なものだったとしても、本当の愛じゃなかったとしても、一瞬の恋の煌めきを僕も味わってみたいと思う。本当は容易に想像がつく。経験が無かったとしても僕には分かる。僕から華やかに見える人たちが恋愛を謳歌しているとも限らないし、恋愛を楽しんでいたとしても、全てが上手く行っている人などいない。それぞれの日常の中には必ず問題や上手くいかないことも起こりえるはずで、僕の焦りも羨みも全く的外れである。それでも、彼らの脱色した髪の毛や楽し気な喧騒そのものが僕の手に入らなかった大学生活の象徴となって、キリキリと万力のように心臓を容赦なく締め上げてくる。
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