1章

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恋人としての関係は、僕にとっては友人関係とほとんど変わることは無かった。強いて言うなら、二人で外食することが増えたことぐらいだろうか。付き合ってから3週間が経っても、僕たちは手さえ繋いでいない。とても一大学生カップルとは思えないほど、慎ましく清らかなお付き合いである。夢ちゃんも特に、恋人として今以上の何かを求めてくるといいうこともない。僕たちは本当に恋人同士なのだろうか、と自問することもあった。夢ちゃんから告白された日のことが何かの間違いに思えるほど、僕たちの間に感じられる変化は無かった。いや、本当は目には見えないけれど、奥底にはしっかりと変わっていく感情があったのだろう。だけど、僕はそれを感じ取ろうとしなかった。気づいてほしいと叫んでいる小さな心から目を背け続けてしまった。 「ねえ、夢ちゃんは何で僕のことが好きなの?」  僕達は、大学付近で一番美味しいと評判のお好み焼き屋に入り、窓際のテーブル席の鉄板を挟んで座っていた。ビールジョッキと鉄ベラを手に舌鼓を打っていたところ、僕は唐突にこんなことを聞いた。唐突にと言っても、考えに考え抜き、タイミングを見計らい、勇気を振り絞った上での一言だった。夢ちゃんも、いきなりそんなことを聞かれるとは予想だにしていなかったのだろう。パッチリした目をさらに大きく見開いて一瞬フリーズしたけど、すぐにニッコリと笑って言った。 「えー、何―?急にそんなこと聞くから、ビックリしちゃった。何で巧君が好きか?フフフ、何ででしょう。」  自分でも、恥ずかしさ故に頬が赤らんでいるのが分かった。夢ちゃんは時々こういうところがある。質問をはぐらかしたいのか、ただただ遊んでいるのか分からないけれど、いたずらっぽく目を光らせて、すぐには答えようとしない。だけどこういうことをされると、好きになってしまう気持ちが分かる。 「な、何ででしょうって・・・。それが分からないから聞いてるんだよ。」 「えー。分からないのー?それは悲しいな。」 「ご、ごめん・・・。」 「アハハ。謝らなくていいよー。そうだね。一応好きになったきっかけとかはあるけど。」 「な、何!?」 「教えなーい。」 「ええ!もう、そんなのって無いよ!教えてよ。じゃないと、どう考えても僕、夢ちゃんに不釣り合いで、自信持てないよ。」 「ウフフ。うーん、今は好きだから好きって言っとく。」  こうやって、予想もしていないところで、一番ずっと言ってほしかった言葉を言ってくれる。付き合い始めてから、変わった小さなことの一つだ。僕は幸福感に酔いながら、恐る恐る聞いてみた。 「夢ちゃん。僕、からかわれてるんじゃないか、って今でも若干疑ってるんだけど。」  すると夢ちゃんは、ドンっとジョッキを置くと、強めにこう言った。 「え、何それ!?私、本気で巧君が好きだよ!だから、もうそんなこと絶対言わないで!それは、私、怒るからね。」 「そ、そうだよね・・・。ごめんなさい。」  そっか、そうだよな。なんでこんな僕のことを好きになってくれたのかは分からないけど、夢ちゃんが僕のことを好きというのは本当で。それなら、自分の好きな人から、好意を疑われるなんて、傷つくよな。じゃあ僕は、夢ちゃんにすごくひどいこと言っちゃったのか。僕だって、自分の好意をそういう風に信じてもらえなかったとしたら、それはすごく傷つくだろう。 「ねえ、巧君。」 「は、はい!」 「もしかして、私とのことで皆に嫌なこと言われてたりする?」 「え!い、いやあ。嫌なことというか・・・。何であそこがくっつくんだろうとか、釣り合ってないとかは、やっぱり言われちゃうかな。」  夢ちゃんは、両手をテーブルについて身を乗り出し、こう言った。 「はあ!信じらんない。そんなの余計なお世話よ!巧君。気にすること無いから。巧君は、私の言葉だけを信じて。雑音に耳を貸しちゃダメよ。それでも、何か言ってくる人がいるようなら、私がそいつにガツンと言ってやるから!」  この時僕はまるで、本当に彼女に光が差しているかのように見えた。あれだけいつも皆からチヤホヤされているのに、なんて真っすぐに純粋に人を好きになるんだろう。まるで初めて人を好きになった人のようだ。まるで僕の方が女の子で、夢ちゃんという王子様に守られているようだ。それはずっと、僕がこんな風に誰かを好きになれたらと思い描いていた姿そのものだった。この瞬間、彼女は僕の尊敬を勝ち取った。この時から、僕は彼女を自分の理想として仰ぎ見るようになった。 「あの、夢ちゃん・・・。」 「なあに?」 「ありがとう。僕、もっと頑張るよ。」 「アハハ、頑張らなくて、今のままでいいよー。」  ああ・・・。僕は、夢ちゃんを本当に彼女として好きになれるだろうか。
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