9人が本棚に入れています
本棚に追加
第7話 【再会】
陽が傾きかけた夕方近く。賑わう歌舞伎町の中をエミが50CCのバイクをゆっくり走らせていた。この時間はホストクラブやキャバクラなど、夜の歌舞伎町へ出勤してくる者も多く、なんとなく街中がキラキラして見えた。エミは自分と同世代の若者たちとすれ違う。今日最後の仕事、ファーストフードの宅配デリバリーのバイトだ。
あの夜、地下で行なわれた賭けボクシングの試合で得た20万はしっかりと貯金し、自分のコンサート費用の資金に回すつもりだ。あの日以来、あそこへは足を運んでいない。会場ですっかり仲良くなってしまった常連の岡島とは試合の後にやはり常連で岡島の顔見知りの仲間たち数人で近くの居酒屋で祝杯を上げた。岡島とはスマホのメールアドレスと電話番号も交換した。岡島は61歳で、普段は警備会社に勤めているらしく、バツイチの一人暮らしだという事がわかった。エミの父親より歳上の岡島は、裏表のない気さくで面白い男だった。岡島の人生は山あり谷ありで、これまでに様々な仕事を経験したらしく、今の警備員の仕事も非正規雇用のアルバイトらしい。
「まあ、人間生きてりゃ色々あるよ」
岡島が少し酔った調子で口から出た言葉がエミにはなんとも切なく聞こえた。
その岡島から聞いた話しによると、なんでも地下の賭けボクシングが行われるのはかなりランダムらしく、開催日程は誰にもわからないらしいのだ。唯一わかっている事は、興業主の野々宮興業がサービス提供するメールサービスに登録すると試合二日前にメールで試合の詳細が送られて来るという事だった。確かに、あの試合会場で配られていたチラシにはメールサービスのQRコードが印刷されていた。チラシは賭けのチケットの役割もあったため、換金の際には回収されてしまったが、飲みの席で岡島がQRコードを教えてくれた。なるほど、こうしてあまり公にならず人づてに広まり集客出来るのか? とエミは納得した。自分のライブもこんな感じで人づてに広まり集客出来ればどんなに楽だろう?と思った。
エミにはあの日、更に嬉しい事があった。自分がシンガーを目指してライブハウスで定期的にライブを行なっている旨を話すと、岡島やその仲間たちが次のライブに来てくれると約束してくれた事だ。次のライブは結構集客出来るかも知れない、エミはそう思った。
風鈴会館の前を通り、その直ぐ近くの雑居ビル前にバイクを止めた。注文の中華料理二人前を持ち雑居ビルの階段で三階まで上がる。注文先の部屋番号を確認して行くと、エミはギョッとした。注文を受けた部屋番号の扉には『里中興信所』と書かれていたのだ。
扉に書かれた『里中興信所』の文字にエミは動揺を隠せなかった。ビギナーズラックとなった初めて体験したギャンブル、しかもそれはヤクザが興行する賭けボクシング。岡島のレクチャーを受け里中に賭けた賭け金は倍になって帰って来た。
あの、額から流血しながらも一発で形勢逆転した里中の芸術的ともいえるカウンター……エミはあの時の光景が再び甦るのを感じた。
扉の横にあるインターホンを押す。反応がない、もう一度押す……やはり反応はない。そうこうしてると、ドアが開いた。不思議そうな目でエミを見つめる女性が立っていた。歳は三十代、といったところだろうか。
「あ、すいません、あのインターホン押したんですけど……」
「ああ、それ壊れてんの。あ、出前ね、公ちゃん、出前来たよ――!」
公ちゃん? 里中公平の公ちゃん……。
「いくら?」
「あ、ハイ、2000と300円になります」
「公ちゃん、2300円~」
なぜだろう? 里中が出て来ると思うとエミの心臓の鼓動が早くなる、なに、何なの、この感覚?
応対した女はエミから注文の料理を受け取るとサッサと奥へ引っ込んでしまい、入れ替わりにやって来たのは間違いなく、あの里中だった。あの時に切った額にはまだ絆創膏が貼られていた。
「ええと、あれ? いくらっつった?」
「2300円です!」
緩めたネクタイ、ヨレヨレのワイシャツ、無精髭、如何にも小説に出て来そうな探偵然とした里中。
里中はズボンのポケットから札を掴み出すと3000円を渡して来た。エミはあたふたしながら腰に巻いたポーチから釣り銭の小銭を数え出す。
「700円のお釣りと、レシートです」
「ほい、サンキュー」
釣り銭を受け取った里中に思わず声をかけてしまうエミ。
「あ、あの~」
「ん?」
「先日の試合、観ました、ありがとうございました、おかげさまで、20万円になりました!」
何を言ってるんだろ、私? エミは動揺した自分が恥ずかしくなった。
「試合? あれ、オネエちゃん、賭け試合やるの?」
「いえ、あの、初めてでした! 感動しました!」
「ほお、そりゃ嬉しいね、オイ、聞いたか? オレの試合観て感動したってさ」
里中は部屋の奥へ声をかけた。応対に出た女性だろう、奥から返事が返って来た。
「へえ――、公ちゃんにもファンがいたんだ? やだ、ウケる~!」
笑い声が響いた。
「でも、オネエちゃんみたいなのが一人であんな所に出入りするのは良くねえな、あれはヤクザがな……」
「知ってます、桜会、ですよね? 岡島さんから、あ、いえ、偶然で……」
「岡島? あんたオッチャンの知り合いか?」
え、里中が岡島を知っている?
「岡島さん、ご存知なんですか?」
「ああ、飲み友達」と、里中は平然と言った。
エミはもう何がなんだかわからなくなって来た。
最初のコメントを投稿しよう!