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昭和三十六年
「海雲さまー。あとでうちにも寄ってくださいな」
「わかりました!」
日本七霊山、愛媛県石鎚山にほど近い山間にある志餌村に、僧侶の海雲は修行の一環で薬を売りに来ていた。
線が細く美しい顔立ちの海雲は、村の娘たちの顔を火照らせる存在だった。なかでも花屋の中西凪は、相思相愛なんじゃないかと囁かれるほどに親しかった。しかし二人は世間体を繕うように、互いの想いを押し殺していた。
志餌村でもう一人、海雲に強く想いを寄せる者がいた。
ある日。村地主の一人娘、神多羅木比美は海雲に想いを打ち明けた。もちろん海雲が頭を縦に振るはずもなかった。しかし丁重に詫びる海雲にたいし、比美は恥ずかしさから憎しみを抱いた。
「海雲様。ちーと、ご相談したいことがありまして。聞いていただけますか」
夕刻になると、村を去ろうとした海雲に若い衆が声をかけた。誰かに聞かれては困ると、夕焼けに影を濃くした神多羅木家の裏山に誘った。
「ここいらで海雲様。わしらは恨みを持っとりませんが大切なお方が袖にされたんじゃ黙っておれません」
言うが早いか、若い衆の一人の拳が海雲の腹をとらえた。前屈みになった海雲の頭を誰かが蹴り上げると、誰かがその面を殴った。若い衆は少々痛めつけて雲海が膝をつきさえすれば、それで良いと思っていた。
「ひっ」
小さな悲鳴に皆が驚き視線を向けた。そこには海雲を追ってきたのだろう凪の姿があった。
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