さようなら、僕

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20歳の青年、廉也(れんや)の精神は、有限の命を持つ肉体の(かせ)から間もなく解放される。 劣化したパーツを交換することで、半永久的に活動し続けることの出来る機械の身体に、人間の意識を移し替える技術――精神アップロード。 この画期的な技術が確立されて3年。機械の身体を拒み、生まれ持った肉体で生活を続ける人間の方が現状では圧倒的に多数派だが、精神アップロードによって機械の身体へと生まれ変わった者も、すでに全世界で100万人を超えている。 病気にかかることも無く、体を損傷してもパーツの補填ですぐに修復可能。寿命というものも基本的に存在しない。機械の身体は魅力に溢れていた。そんな機械の身体を得るということは、人類の一つの進化の形であるともいえる。 機械の身体を求めて精神アップロードの施術を受ける者の数は今後、さらに増加していく見込みだ。 「間もなく施術を開始しますが、気分はいかがですか?」 「少しだけ緊張していますが、期待の方が大きいです。僕は今日、生まれ変わる」 バイザーをかけたスキンヘッドの研究者の問いかけに、廉也は笑顔で答えた。 廉也は精神アップロードを行うための装置に座している。装置はリクライニングチェアのような形状だが、上部に設置されている大量のケーブルに繋がれたフルフェイスのヘルメット型インターフェースが異質な雰囲気を放っていた。 施術の際にはこのインターフェイスを介して、被験者の精神は機械の身体へとアップロードされることとなる。 「あれが、僕の新しい体なんですね」 「はい。あなたの精神は、これからあの機械の身体へと宿ることになります」 廉也の視線の先では、精神のアップロード先である機械の身体が佇んでいる。姿形はもちろんこと身長体重、髪質や黒子の位置に至るまで、廉也という存在を完全に再現していた。機械の体はいくらでもキャラクターメイキングが可能なので、理想の容姿や肉体を発注する者も多いが、廉也はあくまでも自分そのものの姿に生まれ変わることを希望していた。 これから廉也が装着することとなるヘルメット型のインターフェースから伸びた大量のケーブルが、機械の体の頭部パーツへと繋がっている。インターフェースと機械の身体とを繋ぐケーブルは、新たな身体へと生まれ変わるための産道なのだ。 「念願だった究極的に健康的な体。ようやく僕のものに」 廉也はこの日をずっと待ちわびていた。 幼少期から体が弱く、死の恐怖は常に身近に存在していた。発作を起こし死にかけたこともあるし、大きな手術も二度経験している。病に罹患することなく、死の恐怖からも解放された機械の身体にずっと憧れていた。施術が終わったら先ず始めにしたいことは全力疾走だ。   「それでは施術を開始します。覚悟はよろしいですね?」 「もちろんです」 研究者が廉也の頭にヘルメット型のインターフェイスを装着。 精神アップロードの準備は整った。 「このインターフェイスを介して、あなたの精神を機械の身体へと移します。施術が開始されると、眠りにつくかのように徐々に意識が沈んでいきますが、恐れることはありません。次に意識が覚醒する時には、あなたは快適な機械の身体を手に入れていますよ」 廉也は静かに頷き覚悟を示す。説明はこれまでにもさんざん受けて来たし、全てを理解した上で同意者にもサイン済みだ。迷いも後悔も存在しない。胸の中に満ちているのは希望と高揚感だけだ。 「精神アップロード開始」 研究者が手元のコンピューターで精神アップロードの操作を開始する。施術にかかる時間は僅か10分程度。被験者は痛みも苦しみも感じることは無い。眠るように意識を消失し、目が覚めるころには全ての作業が完了している。 ――なるほど、確かに眠る時の感覚に似ている……。 精神アップロードの開始から程なくして、廉也の瞼が重くなってきた。まるで木洩れ日の中でハンモックに揺られているかのような心地だ。とても気分が良い。 徐々に意識が薄れていく中、廉也の瞳は正面に佇む機械の身体を映していた。今はまだ精神の宿らぬただの器に過ぎないが、直にあの身体に廉也の意識が宿ることとなる。   ――これからよろしく、新しい僕……。 薄れゆく意識の中で、廉也が機械の身体へと微笑みかけた時。 機械の身体の口元が微かに動いた。 『さ・よ・う・な・ら・ぼ・く』 ――えっ? どういう…… 廉也の精神はまだ肉体に留まっている。あの機械の身体の中身は伽藍堂(がらんどう)のはずだ。口を動かすどころか思考さえも不可能なはずなのに、何故あのような言葉を発した? ――待ってくれ、アップロードは……待って……く……。 あの身体の中には、すでに別の何かが存在している。ならば、これからあの身体へ移されようとしている自分の精神はどうなるのか? 突如として恐怖が襲い掛かり、廉也はアップロードの中止を懇願するが、意識を失いかけている状態では声も発せず体も自由に動かない。施術が開始された時点で、蓮には抗う手段は残されていなかった。 落ちていく落ちていく落ちていく。 希望ではなく、絶望の底へと。 ――ぼく……は……どう……なるん……だ…… 廉也の意識は、そこで消失した。    ※※※ 「お目覚めですね」 三時間後。意識が覚醒し、機械の身体は動き出した。 その動作は生身の肉体のそれと遜色ない。一目見ただけでは、機械か生身かを見分けることは難しいだろう。 「ご気分はいかがですか?」 「最高です。今日は僕のバースデイだ」 肩を回したり屈伸をしたりして身体の感覚を確かめる。可動域等にも問題は無く、機械の身体は良好そのものだ。 「元のお体の方は如何なされますか? ご要望があればエンバーミング処置を施しますが」 機械の身体へと生まれ変わっても、生まれ持った肉体に愛着を持つ者が一定数存在し、防腐処理等を施した状態で保存しておくケースは多い。極端な例えではあるが、それは実家が存在している安心感に近いものがあるかもしれない。 「いえ、処分してくださって構いません。僕にはもう必要ありませんから」 精神の抜け殻と化した肉体に近づき、機械の手がその頬に触れる。 「さようなら、僕」 今この機械の中に宿っているのは廉也の精神なのか、はたまた別の何者かなのか。 それは本人にしか分からない。  了
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