四月・奇妙な手紙

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四月・奇妙な手紙

『初めまして。そして突然のお手紙ごめんなさい。私は鈴木あかりという者です。  聞いたこともない名前で驚いたことでしょう。無理もありません、私達はあったことがないのですから。でも私はあなたのことを知っています。私は付近の大学に通っているのですが、貴方が大きなキャンバスを抱えて帰宅しているのを何度も見かけました。絵画部に所属していますよね? 確認しましたから、間違いない筈です。  さて、私があなたに手紙を書いている理由は、ある絵が関係しています。  ルネ・マグリットの『ゴルコンダ』という絵画を見たことはありますか? 見たことがあるのなら話は早いのですが。もし知らなかったら調べてみて下さい。この手紙で書いてしまうとものすごい枚数になると思うので、本題だけ話すことにします。  呪いの絵というものが世界には存在するでしょう。「三回見たら死ぬ絵」と言われている絵画が有名ですね。見たことありますか? 私はちょっとした興味本位でその絵を三回以上見たことがありますが、未だ死んでいません。そのことをきっかけに私は「呪いの絵画」の定義を改めて考え直してみました。  「呪いの絵画」とは、見たら死ぬものではなく、「どこか不気味ではあるけれど、何故か目が離せないほど魅力的な絵画」のことを指すのではないでしょうか。私が書いていること、伝わっているでしょうか。ふとした瞬間に頭の中がその絵画のことでいっぱいになってしまうんです。簡単に言うと中毒のようなものでしょうか。私は高校二年生の時『ゴルコンダ』のことを知りました。そしてそれを見た瞬間、その絵画の呪いにかかってしまったのです。  ここからはあなたが『ゴルコンダ』を知っている、あるいは見たと仮定して書きます。  空中に浮かぶ無数の男性達――全員がシルクハットに、厚手のコートといういで立ちをしていますが――よく見たら一つ一つの顔が違う気がするのです。これまで絵画に全く興味を示さなかった私が、これに気が付いた時の衝撃と言ったら! 絵画部に所属しているあなたならきっと分かってくれると思います。……いえ、分かってくれないと困ります。  話が思ったよりも長くなってしまいました。書いているうちに、つい興奮してしまったようです。そろそろ終わろうかと思いますが、その前にあなたに頼みたいことがあります。あなた流の『ゴルコンダ』を描いて欲しいのです。突然のことで戸惑われるかもしれません。あなたの絵を拝見したことはありませんが、でもきっと素敵な絵を描いてくれるのだろうと、そんな予感がします。あなたが私の我儘な頼みを快く受け止めてくれると、とても嬉しいです。では、よろしくお願いいたします。』  誕生日に初めて出来た彼女からプレゼントを貰い、気分が高潮していた僕は、この薄気味悪い手紙を読んで一気に不快な気持ちになった。途中からはもう読むのをやめてしまおうかと思ったのに、結局好奇心に負けて最後まで読んでしまった自分自身が憎い。  この手紙はあらゆる点で妙だった。まず、真っ白な封筒に住所が何一つ書かれていない。差出人のものだけでなく、僕の住所ですら。消印と切手も見当たらないから、差出人であるこの鈴木あかりという人物は僕の家の郵便ポストに直接投函したのだろう。勿論、手紙に書いてあるように、僕は「鈴木あかり」について一ミリも知らない。今日この手紙を開くまでは聞くことすらなかった名前だ。なのに向こうは一方的に僕のことを知っているという。一体いつから知られていたのだろうか。何もかも分からなくて気持ちが悪い。  「そもそも」と僕は一旦冷静になって考え込む。これは本当に僕への手紙なのだろうか? もしかしたら僕以外の誰かに向けた手紙という可能性はないだろうか。だって「僕のことを知っている」と書いておきながら、手紙には僕の名前なんて一切出てこない。絵画部に所属しているということや、キャンバスを持って帰宅していた、などといった情報は知っているのに、名前だけは知らないなんて違和感がある。確かに僕は絵画部に所属しているが、僕以外に部員は七人程いる。そのうちの一人と間違えて投函してしまったのかもしれない。あまりにも苦しいい現実逃避だが、僕はそのように思うことにした。というか、そうであって欲しい。  しかし不気味であることに変わりはないし、なによりせっかくの誕生日を台無しにされたような気分になったことへの苛立ちが治まらない。そこでその手紙を怒りに任せてビリビリに破って、ゴミ箱に捨てた。  キッチンから母さんが僕を呼ぶ声が聞こえてくる。それと同時に、少しだけ開いたドアの隙間から焼けたスポンジの良い香りが入り込んできて、鼻孔をくすぐった。僕の誕生日ケーキを作ってくれたのだろう。もしかするとプレゼントも用意してくれたかもしれない。  僕はこれから来る楽しみだけを考えて、奇妙な手紙のことを無理矢理忘れることにした。  そして、実際に甘ったるいケーキを食べ終えた頃にはすっかり記憶から綺麗さっぱり消えていた。
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