娘が笑った日

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 先日、第一子となる娘が生まれた。立ち合い出産だったため、産まれた時は妻の頑張りと娘の産声を聞き、こみ上げてくるものがあった。  しかし週末に病院へ行って面会しても、可愛いとはまるで思えなかった。こう言うと良くないのかもしれないが、ずっと寝ていて起きたと思えばすぐ泣くし、顔はおサルさんのよう。我が子だからと無条件で愛しく思えるような美しい心を、私は持ってはいなかった。  同じ頃に娘が生まれた友人のSNSを見ると「可愛い可愛い」と溺愛している様子だったので、彼と比較すると自分はなんて冷たい人間なのだろうと思うこともあった。  だがこの子を守らなくてはいけないという意志、あるいは父としての自覚のようなものは産まれた姿を見た瞬間から心に宿っていた。子を体内に宿す母と違い、父は自覚が芽生えるのが遅い人も多い。私もその例に漏れなかったのだ。  退院後は妻が娘と共に実家で過ごしていたため、週末になると私はバイクに乗って家族に会いに行った。話には聞いていたが、自分がそういう生活を送るということをまるで想像していなかった私にとって、あるいはそれはどこか他人の体に心を移して生活しているようにも思えた。  退院してひと月が経ち、妻が娘を連れて家に戻ってきた。これから新しい生活が始まるのだと緊張と共に心が躍ったのも束の間、妻が産後鬱を患った。  聞くに一人で世話をしていると『もしも何かが起きたら自分一人で対処出来るのだろうか』とパニックになるようで、重度ではないにせよ、もしもがあってはいけないと私は会社に育児休暇を申請した。大きな会社ではなく、これまで誰も育児休暇を取得した実績がなかったが、会社や同僚は快諾してくれた。  妻の希望により完全母乳でやっていくこととなったため、私は慣れないながらも洗濯、掃除、食事などの家事をほとんど請け負った。妻が日中寝ている時や買い物に行く時など、娘は一日のうち五時間ほどを私の部屋で過ごした。もし普通に働いていれば、私が娘と接するのは週末と、平日の朝起きて保育園へ登園させるまでのわずかな時間だけで、きっと彼女のことをあまり知らずに過ごしていただろう。これほど泣くこと、これほどよく眠ることなどを。  育児休暇を取って二週間が過ぎ、一か月が経った。私は責任感こそ持っていれど、まだ娘のことをうまく可愛いとは思えなかった。自分には子を愛する資格がないのだろうかと不安になり始めた。  だが生活を共にするようになって二か月が経った頃、娘が初めて笑顔を見せた。その時、私の中でわだかまっていた何かがスルスルと解けていった。  これまで泣くか眠るかしかできなかった娘が笑った。私はこの笑顔を守るために、愛を持ってこれからの人生を生きていくのだと理解した。
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