番外編 ~ 今夜はスウィート&ビター

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 在宅訪問を終えた岸田は帰宅を急いだ。予定ではもっと早く帰れたのに…… と、イラつきながらバスから下車すると、両手に抱えたチョコレートを揺らしながら小走りにアパートへ向かう。  もしかしたら先に帰っているかも…… そう危惧しながら部屋に入れば真っ暗で、胸を撫で下ろした岸田は着替えるために納戸へ行き 重いコードを脱いだ。が、その時だ。ドア越しに玄関が開く音がして「ただいま~」と声がしたのである。  岸田は焦った。なぜかというと、山の様にもらったチョコレートが恋人の目に触れるのを危惧したから。薬局スタッフや大学病院関係者は良いとして、患者からのは去年原が貰った倍以上。もしそれを知ったら、あの温厚な彼でも面白くないだろう。  光の速さで それらを押し入れに隠すと同時にドアが開く。何も知らない原は「今、岸田君も帰ってきたんだ」と呑気に言った。 「えっと…… 帰る間際に在宅の依頼がきて」 「おやおや」 「近くの人だから良かったんですが、真冬の夜にチャリを漕ぐのは ちょっとしんどかったです」 「在宅訪問を導入したのはいいけれど、スタッフの数は変わらないから大変だよね」  原が言うのはもっともで、本部に人員を増やしてもらえるよう頼んではいるものの、慢性的な薬剤師不足で期待できないのが現状なため、岸田があちこち行き来していた。  原と入れ違いに部屋を出た岸田は、さっそく夕食の支度に取り掛かった。鍋の内側にニンニクの切り口を擦りつけた後、ピザ用チーズと小麦粉と牛乳を混ぜて火にかける。その間、野菜やソーセージ・海鮮類をボイルし、一口大に切ったパンを軽くトーストする。  着替えを済ませた原も、慣れた様子で準備に加わった。以前は岸田に指示を仰いでいたが、要領を得た今ではテーブルを拭き、IHコンロを出し、食器を並べ、出来上がった料理を運ぶ。そして、玄関へ行くと長細い袋をさげて戻って来た。 「ワイン買っちゃった、それも ちょっといいヤツ」 「太っ腹」 「と言っても三千円だけど。普段飲んでいるのと比べてみよう」  原は流しの引き出しからワインオープナーを取って来てコルクを抜いた。そして、その匂いを嗅ぎながら しみじみと言った。 「君が居候していた大野君んちから ここへ引っ越してきた日、赤ワインを買ってきてくれたよね」 「そうでしたっけ」 「あの時、グラスを回して香りを楽しむ姿を見てショックを受けたんだ」 「どうして?」 「『ワインは全然詳しくない』って言ってたくせに凄く手慣れていたから。コイツ、恋人と散々飲んでたな…… って嫉妬した。そして、それをごまかした君にムッとした」 「……」 「ごめん、変なこと言って」 「いや、あの日俺も原さんの昔の写真…… ほら、女の人の肩を組んだやつを見つけて ふて腐れたんですよね」 「……」 「最近の事なのに ずいぶん昔の様に感じるから不思議です」 「俺もそう思う」  ちょっと微妙になった空気を払拭するため、岸田は「さ、食べましょう」と大きな声で言った。そして、テーブルに着くとグラスにワインを注いで乾杯した。  腹が減っていた二人はあっという間に食べつくし、今度は残ったワインで貰ったチョコレートを食べようということになった。  岸田は先日デパートで買ったチョコレートを取ってくると、恭しく原の前に置いた。 「俺から愛をこめて……」 「うそ、マジで?」 「男から もらうのって初めてじゃないですか?」 「でも、今までで一番嬉しい」 「ほんとかな?」 「ほんとう。それより、今日はどのくらい貰った?」 「えっと、患者さんとスタッフと昔の職場から」 「昔の職場? 大学病院から?」 「宅配便で届いたんです」 「わざわざすごい。見せてよ、戦利品」 「原さんはどうだったんです?」 「俺もスタッフと患者さん」 「いくつ?」 「4個」  見せて見せてと せがまれた岸田は重い腰を上げて納戸へ向かった。そして、押し入れ以外のチョコレートを抱えて戻って来ると原の前に並べた。 「5個か~っ! 負けた」 「そんなことより、俺のを食べてください。デパートの特設会場で清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったんですから」 「リッチなパッケージ。これ、高かったんじゃない?」 「奮発しました」  申し訳ないなぁ…… と目尻が下がった原は丁寧に紐をほどくと箱を開ける。そして、目の前に現れたジュエリーのようなチョコレートに溜息をついた。 「食べるのがもったいない」 「味見してくださいよ」 「実は俺もプレゼントがあるんだ、チョコじゃないけど」 「まじで?」 「ちょっと待ってて。持ってくるから」  そう言うと、原は席を立って納戸へ向かい、岸田は恋人からの初めての贈り物に頬を染めた。 ――― いつの間に買ったんだろう? 全然気づかなかったけど  ワクワクしながら待っていた岸田だったが、戻って来た原が困惑した表情を浮かべているのに首をかしげた。そして、その手に提げた紙袋を認めるや否や、心臓が止まりそうになった。なんとそれは、押し入れの中のチョコレートたちだった。
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