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「誘ってるのか?」
「変な意味に取るなよ」
「馬鹿、あたりまえだろう」
「俺は店を継いだら取締役になり、そう遠くない時期に社長になる。だけど、周りは知らない連中ばかりで腹を割って話せる人間がいない。それも、親父の息のかかったヤツばかりで思い通りに動くとは思えない」
「親と仲が悪いのか?」
「悪くはないけど経営方針がまったく違う。俺はな、ドラッグストアや調剤薬局に留まらず もっと大きな事業を展開したいと考えてるんだ。介護福祉施設や居宅支援・訪問介護など介護関連事業に手を広げて社会的ニーズに答えていきたいと。その為には お前が必要なんだ。ぜひ、力になってほしい」
頭を下げられて岸田は困惑してしまった。大胆な男であることは分かっていたが、ここまで具体的に会社の未来図を描いていたとは。そして、その実現の為に手を貸して欲しいだなんて……
ありがたいと感謝すると共に、岸田は その言葉に一筋の光を見出していた。友人の力になり、その夢を実現することが自分の生きる指標・目的になるのではないかと……
「なあ、この話 受けてくれないか?」
「少し考えさせてほしい」
「まだ、伊集院さんのことを引きずってんのか?」
「一体いつの話をしてるんだ」
「じゃあどうして?【ひまわり】で仕事がしたいのか? それとも他にやりたいことでもあるのか?」
「そんなに急かすなって。今すぐに返事は出来ないけれど前向きに検討するから。実は、そろそろ地元へ帰ろうと考えていたところなんだ」
それは事実であった。父も母も高齢で、彼らと一緒に暮らしている三つ上の姉の結婚話が浮上していた(但し、相手が無職で両親がなかなか首を縦に振らない状況なのだが)。
両親とは仲違いが続いているが、姉が結婚したら親の面倒は自分が見るつもりでいた。今はこんな状態だけれど、時が経てば気持ちが軟化するだろう――― そんな希望的観測を胸に抱いて……
十五分後、大野とバーをあとにした岸田は最終バスに揺られながら ぼんやり外の景色を眺めていた。
――― あと一カ月もすれば原さんは他店舗に移動する。そして二年後、自分は故郷へ。もう一緒に仕事をすることはないだろう。それどころか、一生逢うこともないかもしれない。流れる月日と共に思い出す回数も減って、顔も声も忘れてしまって……
寂しいが、それが最良の結末だと思った。このまま残って、いずれ訪れる原と野田 祥子の行く末を見るのは辛過ぎた。きっと耐えられないだろう。何もかも風化してしまえ…… そう願わずにはおれない岸田だった。
◆◆◆◆◆
それから半月が経ち、大野の言う通り 原の店舗移動の辞令が正式に降りた。
すでに薬局中に噂は広まっていたのでスタッフは冷静に受け止めていたが、その後 思いもかけない出来事が岸田の身に起きた。
昼過ぎ、本部から調剤事業部の林部長がやって来て、原と奥の休憩室へ入っていった。そして、その五分後―――
「岸田君、手が空いたら こっちへ来てくれないか?」
調剤中の岸田を原が呼び、『何の用だろう?』と困惑しながら部屋へ行くと、待っていたとばかりに林部長が こう言った。
「岸田君、実は君に頼みがあってここへ来た。是非、原店長の後任になって欲しいんだ。承諾してはくれまいか?」
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