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◆◆◆◆◆
原が桜台調剤店を去る日、本部近くの居酒屋で送別会 兼 店長就任を祝う会が催された。
その日、新店舗から直接来た原は40分遅れで到着し、先に飲んでいたスタッフたちは2度目の乾杯を交わした。
「原店長、今までありがとうございました」
「新しい店舗でも頑張って下さい」
グラスが次々と合わさり、軽快な音が辺りに鳴り響く。
「店長が明日から来ないなんて、寂しくなります」
そう言いながら空になった原のグラスにビールを注ぐのは、薬剤師3年目の川崎。
「あとのことはよろしく頼むね、頼りにしているから」
「そんなこと言わないでくださいよ~~」と涙目になった彼女は、大学卒業後すぐ桜台店に就職し、原を慕っていた。
次に「これから毎日『原店長はどこに行ったんだ?』って聞かれるでしょうね」と言ったのは、医療事務の石井。彼女は料理を取り分けて原に渡すと、
「そう言えば、花井さんには ちゃんと説明したんですか? あの人、店長に会うたび『ぜひ、孫の婿に』って口説いてたでしょう?」
「来局されてないから話してないんだ。今度来られたら宜しく言っといてくれないか?」
「嫌です。『私に何も言わずに行ってしまった!』って、延々愚痴を聞かされちゃ堪りませんもん」
そして「原さんが店長だったから続けてこれたのに、私 辞めちゃうかもしれませんよ~」と脅したのは、問題児のレッテルを張られていた宮川。彼女はここに就職する前、他の薬局を転々としていた。
「じゃあ、一緒について来てくれる?」
「きゃーっ♡」と歓声が上がる中、宮川がボソリと呟いた。
「本気に取らないで下さい」
その後、話題は原が異動する店舗へと移った。
「新店舗ってどんな感じなんです? 二十四時間営業って大変そうだけど」
「まだ始まってないから何とも言えないけれど、軌道に乗るまでは忙しいだろうな」
「処方内容はどうなんでしょう?」
「まあ普通だろうけど、とにかく枚数が多い。200から250は来るんじゃないの。夜も途切れることがないみたいだし。人手が足りなくなったら応援要請するから、その時は来てくれよな…… ねえ、聞いてる? 宮川さん」
運ばれてきた串カツを手にした宮川が「聞こえませ~ん」と言うと、笑いがどっと起こった。
原たちの会話を聞きながら、岸田は一人グラスを傾けていた。飲み会ではベラベラしゃべる方ではないが、今日は いつもに増して無口だった。
そんな岸田に、隣に座る薬剤師の中井がビール瓶を差し出してきた。
「ごめんね、店長職を引き受けてもらって。本部からの誘いを断り続けたら岸田君にお鉢が回っちゃった」
中井から瓶を受け取ると、今度は岸田が注ぎ返す。
「やむを得ずです。中井さん、この貸しは返して下さいよ」
「了解、了解」と頷く中井とは、入社当時からウマが合った。女性に対して若干辛辣な物言いをする岸田を中井は面白がり、岸田も彼女の さっぱりした性格を気に入っていた。
「私、岸田君が店長になってくれて良かったと思ってる。他店舗から来た店長とソリが合わなかったら最悪じゃない。その点、あなたなら……。原店長もあなた以外考えられなかったから推薦したのよ」
先日、原から同じことを言われた岸田は思わず俯いた。
「でも良かった、二人がまた元通りになって。実はこの前、店長から電話があって『岸田君のことを宜しく頼む』って言われたの。あなたのこと『見かけに寄らず気持ちを貯め込むタイプだからフォローしてやってほしい』だって。ようやく仲直りしたんだって嬉しかった」
「別に喧嘩していたわけじゃないんですけど……」
「今日の飲み会だって、気まずい雰囲気だったらどうしようって内心ヒヤヒヤしてたのよ。岸田君、これから みんなで頑張っていこうね」
中井の言葉に、岸田は目の奥が熱くなるのを感じた。
夜もすっかり更けた頃、飲み会がお開きになった。
「じゃあ、店長お元気で」
「私、応援に行きますから!」
みな口々に原への別れの言葉を述べて解散した後、岸田は原の前まで行くと頭を下げた。
「俺 未熟者なりに頑張ってみます。原さんも あちらへ行かれたら…… 」
「岸田君」
言葉を遮られ、目をしばたたかせる。
「今から飲み直さない? 近くに知ってる店があるんだ」
思いもかけぬ原からの誘いに、岸田は唖然としていた。
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