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――― 祥子とは別れてきた。だから、付き合ってほしい
その意味を理解できずに唇を わななかせていたら、原が諭すように こう言った。
「岸田君が出て行ったあと、君の言葉を自問した。だけど、何度考えても答えは一緒だった。心を奪われてる以上、祥子に気持ちを残すなんてありえないと。俺を騙したと自分を責める君に言いたい。きっかけはどうあれ、この出逢いに感謝しているんだ」
岸田の瞳に涙が滲む。
「祥子さんには、なんて……?」
「俺たちの関係は既に終わっている。俺にはもう愛する人がいるから やり直せない。いくら待っても期待には答えられないと。半年かかってようやく納得してもらったよ」
「俺とのことは……」
「言えなかった。意気地がないだろう? もし言ってほしいのなら……」
「だめです!」
岸田の声が辺りに響き、カウンターの客が振り向いた。
「それだけは言わないでください、どうかそれだけは……」
「わかった。岸田君、これで問題はすべて解決した。だから、俺達は……」
「いいえ、まだあります」
「なにが?」
「俺は…… 男です。それでも構わないんですか?」
「なにを今更……」
原は盛大な溜息をついたが、岸田にとっては重大な問題だった。伊集院が見合いをした理由――― それは、上司の顔を立てるという以外に男と交際を続けていくことに迷いがあったからだ。『世間体を気にした狡さがあった』と、はっきりと言われた岸田は、それがトラウマとなり苦しんでいた。
「確かに、最初は躊躇した。だけど、今は気にしていない。だって、君は性別を超えた魅力に溢れているからね。こう言ったら怒るかもしれないけれど、君は綺麗で可愛い。その上、仕事もできる。反面、不器用で涙もろくて、そこがいじらしくて堪らない。初めて飲みに行った時のことを覚えてる? 祥子との別れ話を聞いた君はカウンターにうつ伏して泣いていた。あの時は丸呑みしたくなるほど健気だった。君は同性だからうまくいかないなんて心配しているけれど、異性とだってうまくいかないことが ごまんとあるのは知っているだろう?」
――― だけど、だけど
それまでの恋愛が苦労の連続だった岸田は、傷つくことを恐れていた。極端に恐れるあまり、この恋の成就を妨げる要因を捜し始めていた。
「原さんには黙っていたけど…… 俺、2年後に故郷へ帰ろうと思ってるんです。両親が老齢だし一緒に暮らしている3番目の姉も結婚しそうだし。それに、大野から実家の薬局を手伝ってほしいと言われてるんです。頼りにしてくれているから、その期待に答えたい気持ちがあって……」
「今から2年後の心配をするの?」
「だって……」
「そんな先の話で交際を渋られちゃあ たまったもんじゃないな。まあ、アレだったら一緒についていってもいい」
「ええっ?!」
「薬剤師はどこでも不足しているからね。俺は即戦力になるから買い得だぞ」
「K市なんですよ!」
「新幹線が開通したからどうってことない」
「そんな……」
言葉を失った岸田の手のひらを、原の指先がそっと突いた。
「これで俺の気持ちはわかっただろ? 今すぐ返事が欲しいとは言わないけれど出来るだけ早く聞きたい。それもいい返事をね」
帰りは、原がタクシーで岸田の家まで送った。
運転手を気にして会話は仕事のことに終始したが、岸田のアパートに着くと原はタクシーを待たせて一緒に降りてきた。
「住所は知っていたけど、こんなところだったんだ……」
お世辞でも綺麗といえない4階建てのアパートを見上げながら、原が嬉しそうに呟いた。
「実は何度も押しかけそうになったんだ。でも、祥子のことが解決するまでは と思って我慢した」
原のことを忘れようともがき苦しんでいた頃、彼がそんなことを考えていたなんて……
「今日はここで帰るとするよ。明日電話してもいい?」
「…… はい」
しかし、その直後だった。原が肩を抱き寄せキスしてきたのだ!
一瞬でホワイトアウト。
気づいた時には原はタクシーの中で、呼びかける間もなく走り去る車のテールランプを岸田は呆然と見つめるのであった。
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