第2章

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 事件は、その日の午後に起こった。 「店長! 患者さんが『薬が間違っている』と言って来られてます」  休憩室で遅めの昼食を取っていた岸田は、すぐに立ち上がると調剤室へ向かった。投薬窓口に六十代ぐらいの男性が立っていて、薬剤師の中井が その対応に追われている。 「店長の岸田です」  声をかけると、男は物凄い剣幕で怒鳴り始めた。 「午前中、あんたんところで薬をもろうたけど間違っとるやないか。さっき一錠飲んでしもうたよ、どうしてくれる!」  岸田は薬と一緒に置いてある薬剤情報提供書を確認した。薬剤情報提供書とは、薬の効能、飲み方、副作用等の注意事項がかかれたもので患者に投薬する際 一緒に渡したが、その内容と規格が異なっていることに気づいて血の気がひいた。  岸田は処方箋も確認した。同薬剤だが0.625㎎を2.5㎎で調剤、投薬している。このようなミスを犯さぬよう患者に薬を渡すまでチェックしているはずなのに…… 「間違って お薬を渡さぬよう細心の注意を払っているのですが、このようなことになりまして誠に申し訳ありません」 「すぐ気づいたから よかったものの、このまま飲み続けとったら どげんするつもりやったとや?」  待合室では他の患者が遠巻きで見つめており、岸田は一旦その男を休憩室に案内するとソファーに座らせた。  男は先ほどまで岸田が昼食を取っていた場所にふんぞり返ると、足を大きく組んだ。 「店長を呼ばんか、店長を。もう一人男がおったろうも?」 「原でしたら半月まえ別の店舗へ異動になりました。私が後任の店長です」 「あんたがぁ? 大丈夫かね、責任ば取りきるとね?」 「誠意を持って対処させていただきます」 「誠意を持つと言っても、謝るだけなら誰にでもできるったい。もっと別の誠意を見せてくれんね」 「別の誠意?」 「言わんでもわかろうも」  多分、金で解決したいと思っているのだろう。投薬ミスはこっちの責任、弁解の余地はないが相手が悪かったと岸田は舌うちした。 「もし間違って出したお薬で身体の不調がございましたら、病院を受診していただけないでしょうか? 治療費等は全てこちらが負担します」 「そういえば、あの薬ば飲んでから頭がぼ~とするよなぁ。この先ずっとこの調子やったら どげんしようか」 「主治医とご相談の上、治療を行って下さい」  このまま患者の言いなりになり どんどん要求がエスカレートしていくのを危惧した岸田は、この事態を本部に報告する決意をした。もう、こちらでは対処しきれない……  岸田は男の訴えを聞き、それをメモをするふりをして調剤事業部の林部長宛へメッセージを書くと、それを天野に託した。彼女ならこの状況を正しく理解し部長に連絡して くれるはず。  すると40分後、本部から部長が駆けつけて対処した。治療費と見舞金が支払われることに男は満足し、来た時とは別人のような笑顔で帰って行った。 「すみません、新任早々こんな事態を招いてしまって……」  こうべを垂れ反省の弁を述べる岸田に、林部長は肩に手を置いてこう言った。 「絶対に起こしてはならない調剤過誤だが、人間が行うことだから100%回避することは難しい。今後、このようなことがないよう気をつけてくれたまえ」  部長が帰った後、岸田はミスの原因を考えた。調剤時と投薬時の二度監査しているはずなのに、なぜ気づかなかったのだろう。  すみません…… という声で振り返ると、今回の調剤過誤に関わった青山と川崎が首をうなだれ立っていた。  岸田は二人を見つめた。彼女達も好きでミスしたわけではない、忙しさのあまり注意散漫になっていたのだろう。  二人揃ってミスを犯したとなると業務の運営自体に問題がある様に思えてきた。薬局の柱であった原がいなくなり、不慣れで頼りない自分が店長になったことへの不安。スタッフ不足のよる過酷な勤務状態。充分な休日が取れないことによるストレスの増加。それらが複合し起こるべくして起こったミスなのだ。  即急に対策を講じなければ――― そう思ってからの岸田の行動は早かった。本部と第一医科大前店に来週の応援が出せないことを告げ、なおかつ本部にはスタッフの増員を強く要請した。そして、PCのフォルダから去年原が作成した【薬剤師募集】の原稿を探し出すと、プリントアウトして人目につく場所に貼った。  二、三歩離れてそれを眺めながら岸田は感慨にふけっていた。一年前の今頃、自分は原が貼ったこの募集の紙を見て桜台店に就職した。随分昔のことの様に思えるが、まだ最近の出来事なのだ。  そして業務が終わった後、宮川を呼びよせて こう告げた。 「一日の休みは無理ですが、来週の火曜日なら半休が取れますよ。午後から患者さんが減るので薬剤師の人数が減っても大丈夫です。そこで休みを取りませんか?」
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