第一幕 一章 出逢いの季節ですよ一匹狼くん

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「失礼します。」 聞こえた生徒の声にお…珍しいな。と思った。たった二時間の昼休みでさえ昼食もそこそこに第四グラウンドで部活の自主練をするサッカー部員から目を離し、灰皿に短くなったものを押し付けながら戸口を振り返る。 「珍しいな。どうしたすめら────ん?」 そこには予想通りこの学園の生徒会長と…もう一人。少し俯き加減に皇の少し後ろに立つ長い髪の見覚えない生徒が立っていた。よく見ると僅かに頬が腫れている。 「あれだけ吸うなと言っているでしょう。」 「るせえ。それよりお前が自ら連れてくるなんて珍しいな。」 「すぐに先生の耳にも入ると思いますがひと騒動ありまして。ほら慎。」 しん…やはり聞いたことがない。姓にしては珍しいからおそらく名前だろう。皇が名前で呼ぶ生徒というのも珍しいが… 「一年何があった。」 部屋に入ってきた「しん」に声をかけると1度ピクリっと大きく肩を震わせ俯けていた顔を跳ね上げた。そのままじっと俺の顔を凝視してくる。顔を上げたことで頬の腫れが存外酷いものだということが分かり思わず触れようとした手を止めた。 「何があった。」 もう一度訊くと再びツ…と視線を俯ける。そのまま顔を手で覆い———— 「「おいっ…!」」 座り込みそうになった彼を抱きしめるような形で支える。 まさか頬の他にもどこか痛めているのか?皇を見るも僅かに首を振るだけだ。 腕の中の彼は全身の力を抜いて俺の体に預けていた。 「慎。他にどこか痛むのか。」 皇の問いにもじっと俯いたままの彼の背を緩く摩ってやると、ひとつ小さく吐息して俺の胸を押しようやく俺から離れ顔を上げた。 「はぁっ…別に、ちょっと喧嘩しただけ。痛えから冷やすもんちょうだい。」 「…頬だけか。」 「ああ。」 「分かった。座ってろ。皇は時間大丈夫か。」 「…はい。」 「あーもういいよ会長。俺あと帰るだけだし。」 「だが……」 「時間やばいんだろ。俺が起こしたことの後始末もあるんだろうしさ。本当大丈夫だから。」 「そう…か。伊吹先生こいつお願いします。」 「ハイハイ。お前も根詰めすぎんなよ。」 「ええありがとうございます。じゃあな慎、大人しくしてろよ。」 「へいへい言われなくともそのつもりだ。さんきゅ会長様。」 「ああ。では失礼します伊吹先生。」 皇が返事をするまでの僅かな間を読み取ったのか?すごいなこいつ。っとそれより帰るだけ?喧嘩をしたと言っていたが… 「謹慎でも食らったか。」 「そうそ。抑えらんなくてさ。ちょっとやりすぎちった。」 「この学校に好戦的なやつはFのやつらくらいだが…まさかお前あいつらとやったのか。」 「あっそんな有名?俺知らんくてさー…なあ先生。なんであいつらってああなん?」 「ああ?」 「人に壁作ってわざと怖がられるようにしてさ。」 その言葉に一瞬ペンを用意する手が止まった。何故…そんなことを高一の段階でなんの重みも感じさせず世間話のように言えるのか。 ペンと問診票と保冷剤を持って彼の隣に腰を下ろす。ふっとこちらを向いた相手の頬に保冷剤を当てながら改めて彼を見る…上品に着崩されたシャツ。ズボンのベルトを変えている。腫れた頬を除けばこの学園では珍しい地味な顔立ち。ただ前に流されたその黒く長い髪と同色の強い光を湛えた瞳が印象的だった。 「…痛み止めは必要か。」 「あー…いや…いいわ。」 「ならこれに名前と負傷した箇所、理由を書いてもう帰れ。」 「ういー…」 素直に従った彼はさらさらと言った通りのことを書いていく。ああ学年とクラスも———— 「なあ先生。貴方(あんた)名前は?」 「伊吹 刹那。」 「っ…そっ…か…はぁ…」 「人の名前聞いてあからさまに疲れんなよ。」 「…悪い、ん。」 「おうさんきゅ。…なあ黒瀬。お前も昔今のFみたいに壁作ってわざと怖がられたのか。」 「…さあな。案外そういうのは自分で気づかないもんなのかもな。っし帰るわ。あんがと伊吹、また来るわ。」 「伊吹な。つかもう来んな、そんな頻繁に怪我されてもこっちが困る。」 「普通にサボりに来るんだよ。勉強教えて。」 「教室行けよ。」 「行きづれえの。これもらってい?」 「ああ。痛みが続くようなら薬飲めよ。」 「ん…またな。」 そう言って立ち上がった彼を追って戸口まで行き少し考えてから声をかける。 「慎。」 「っ……」 小さく肩を震わせた彼に「自重しろよ。」と言って小さな頭に手を置くと「…はっ…ヤニ中に言われたくねえ。」と俺の手を振り払い黒瀬 慎は去っていった。 『人に壁作ってわざと怖がられるようにしてさ。』 『勉強教えて。』 『行きづれえの。』 また…来るのだろうか。 容姿はどこまでも平凡としか言いようがないのに…あの目は一度見たら忘れられない。強く。弱く。地球が滅亡してもあいつだけは生き残っていそうな…今にも消えてしまいそうな。そんな目をしていた。 自然と漏れた吐息に苦笑しながら部屋の中に体を向ける————— 「…あいつ…クラス書いてねえじゃん…はぁ…」 そして今。彼———黒瀬 慎は俺の膝の上に頭を乗せてすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。 入学式から四日が経過した本日金曜日。すでに通常授業は始まっており来週からは新入生の実力テストが実施される。今年の皇の方針でいくとこの試験を甘く見た者は振り落とされ大きくクラス編成が変わることだろう。…ったく皇も自分の負担を考えないやつだ。 そんな中謹慎の解けた黒瀬は教科書類を持って2限の終わりごろ保健室(ここ)に姿を見せた。「悪い遅刻った。」と当然のように入って来て「教えて?」と可愛らしく…いやぜんっぜん可愛くはなかったが…とにかく教科書を胸の前に抱えて首を傾げてみせた。 本当に…あの時の俺はどうかしていた。「教室に行きづらい。」という彼を哀れに思ったのかなんなのか…分からないところは訊くように言って彼をここに置いた。その結果がこれだ。 食堂から取り寄せた昼食にもほとんど手をつけず目を擦り出したかと思うとこちらに倒れ込んできたので慌てて支えると寝息を立てていた…というわけだ。 起こすことも一応考えたが午前中の彼を見た身としてはそれを躊躇わざるをえなかった。 黒瀬の集中能力と学力は驚くほど高く、チャイムなど彼の耳には入っていないように2時間半ぶっ続けで教科書と向き合い、先程やっとトイレ休憩に立ったところだった。普段部屋で勉強などしなさそうな彼が何故Sクラスに在籍できるのかがよく分かる時間だった。加えて黒瀬は身体能力も高いらしく二日前に彼がした「喧嘩」では周りのテーブルなどを一つも倒さずに数人を気絶させたと聞いた時には心底で驚いた。 確かに彼の立ち姿一つとっても体重の乗せ方をしっかり把握していると今日改めて彼を見て思った。 「んー…」と呻く声がしてもう起きたのかとPCから顔を離し下を向くと、彼はまだきつく目を瞑っていて、されど少しだけ眉間に皺を寄せ僅かに顔を歪めていた。 皺の寄った眉間に指を乗せそのままくりくりと回してみる。すると彼は表情を元のあどけないものに戻し伸ばしていた足を縮めて腹に抱きついてきた。それはさながら親で暖をとる子犬のようで…いやそんなに可愛いものではないな。 そう思い直して柔らかな髪に手を置きPCに向き直った。 それから1時間もしないうちに保健室に来客があった。 「黒瀬いるか。」 「ああ、そういえばお前のクラスだったな。」 「ったくこんなとこで寝てんじゃねえよ。…勉強してたのか。」 「ちょっと教えただけで大抵のことはできるからこいつの相手はそんなに苦じゃなかった。…教室、行きたくねえんだと。」 「…こいつ何回か生徒会に絡まれててさー…」 「ああ…」 「まあサボりたいってだけのただの方便かもしんねえけどな。ほら起きろ馬鹿。」 夕羽がゆらゆらと肩を揺らして呼びかけるもモゾモゾと動くだけで目を開く気配はない。そのうちにとうとう夕羽がキレて黒瀬の頭をはたいた。おい。 「ン…んー…なに…」 けれどそれでようやく目を覚ました黒瀬は俺の腹に回していた手を離し目を擦りながら俺らを見上げた。 「おはよー…」 「おはよーじゃねえんだよアホ。」 「ううん…ホスト…?」 「お前の担任様だボケ。ちょっなにも一回寝ようとしてんだよ。」 「ぅん…あったか…気持ちい…」 まるで幼子のように俺の手に擦り寄りぎゅっと抱きついてくる様子に今までの黒瀬の面影はなく夕羽とふたりで困惑してしまう。 「黒瀬。」 呼びかけながら手を引くとん?と言ったふうにこちらを見上げ彼の目が俺をはっきりと映した瞬間────── 大きく目を見開き飛び起きた。 「…は?な…んで貴方が…」 「っぶねえな…なんでってここ、俺の部屋だからな?大丈夫か。」 「…はぁっ…だよな…悪い寝ちまった。つかじゃあなんでホストがここにいんの。」 「お前に嬉しいお知らせだよ問題児。」 「えぇ…嫌な予感しかしねぇ…」 「聞いて喜べ。来週からテストだ。」 「…は?」 「つーことで来週は教室来いよ。」 「えっ…はあ?」 「じゃそういうことで。」 「はっ?ちょ待っ…チッ意味わかんねえ…なあ?」 なあ?と言われても。まあ確かに夕羽は強引なところもあるけどな。とりあえず… 「重い退け。」 「ぁ…悪い。…なあ伊吹、ここで受けたらダメなん?」 「ダメなことはねえけどここは一応保健室だからな。今日の様に俺の身動きが取れなくなるのは困る。」 遠回しに寝るなよと言ってみると黒瀬はそれを正確に受け取った。 「あー悪かったって…テスト受けたらどっか行くからさここで…」 語尾が小さくなり僅かに俯く黒瀬。こいつ…どんだけ人嫌いなんだよ。生徒がいると吸えねえんだよなと思いながらも黒瀬の頭に手を置きそのままくしゃっとかき混ぜる様に撫でる。 「ゆ、皇先生に言っといてやるからちゃんと定時に来いよ。」 「マジ?あんがと。じゃあさこれ教えて。」 「ここテスト関係ねえだろ。」 「テストって何出んの。」 「中学の範囲。」 「復習ってことか。」 「まあそういうことだな。でも甘く見ない方がいいぞ。」 「大丈夫だろ。ここがちげえから。」 「どうだか。ほらちゃんと座れ。」 頭を指しながら胸を張る黒瀬に呆れながら未だだらりと座っている彼の体を引っ張って教えてという部分のテキストを覗き込んだ。
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