第一幕 一章 出逢いの季節ですよ一匹狼くん

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ガチャっと音がして顔を上げると見慣れない生徒が入ってくるのが見えた。 「誰だ。」 「さあ…少なくとも仲間ではないですね。」 薄く開いた綺麗な漆黒を見つめ返しもう一度顔を上げる。その生徒は私たちに気づいていないのかどんどんと柵の方によっていく。目で追っていると小さく何かを呟いた彼は地を蹴り一瞬で五メートルはある柵に座った。長い髪が風に靡くのがここからでも見える。 ふと視線を元に戻すと彼も上体を起こし、そちらを向いていた。いつ追い出すのか知らないが面倒ごとはさっさと終わらせたい。 けれどこの男にとって私の意思などはどうでもいことで、ただじっとその生徒を見ているので、仕方なくもう一度そちらに目を向けた。 と───── 「んで…んで忘れてんだよクソ野郎っ…!」 その生徒は空を仰ぐと大きな声でそう叫んだ。 「紺野。」 「はい。」 静かに告げられた合図に内心で頭を抱えながら今しがた彼の眠気を完全に覚ましてしまったであろう元凶の元へ向かう。 少しの殺気…というのは少々厨二くさいが…を出しながら未だ天を仰いでいる生徒の下に行き…跳躍する。 「へー運動神経いいのな。」 天を仰いだままこちらに投げて寄越された声は思っていたより幼いものだった。 「…出ていっていただけますか。」 「なんで。ここ別にあんたらの場所じゃないだろ。」 「いいえ。私たちの場所です。」 「下の階があんたらの教室だから?」 どうやら私たちが何者か分かっての所業らしい。せっかく私が言葉だけで終わらせようとして差し上げたのに…っ…!? 攻撃に出ようとした瞬間それを悟ったように目の前の彼は仰向けていた顔を正面…つまり私の方に向けた。 何故…動けない。 その目に捉えられた瞬間金縛りにあったように体が硬直した。 手も足も出せないままに彼に胸を突かれる。 落下時の独特の浮遊感を背に感じながら気づいた時には私が立っていたところは遥か上空に。地面が迫っているのが分かった。 もう受け身を取れないところまできている…瞬時に判断してできるだけ衝撃を殺そうと首をもたげ空中で前回りをする感覚でうつ伏せに───── 「じっとしてろ。」 さっきまで聞いていたものより幾分低められた声が耳に届いた瞬間、体が何かに包まれた。 次の瞬間軽い衝撃。思わず閉じていた目を開くと先程の彼が私の上から起き上がるところだった。 「…悪い。」 ことんと頭に何かが当たる感覚でやっと自分の頭の下に彼の手が入っていたことに気づいた。 「頭打ってないか。」 その言葉にハッとして咄嗟に上にいた彼を退かすため、足を振り上げ身を捩る。 「っ…なんなんですか。」 「ハッ…こっちのセリフなんだけどな。俺はただストレス発散、あわよくば…と思って上ってきただけだし。」 「…とにかく出ていってください。」 「やだね。俺は命令されるのが嫌いなんだ。…そうだな。先輩が俺に勝てたら出てってやるよ。」 「私とやりあう…と?」 「そ。安心しろよ俺は綺麗なもんは大事に扱う。」 「っ…」 その言葉と同時、対峙していたはずの彼の姿が消えた。瞬時に気配を探り動かずにいれば当たりやすくなると判断して、それでも仕掛けなければ始まらないと思い気配のある方に跳躍しながら突きを放つ。 少し気配が乱れた─────と思った瞬間足を払われバランスを崩す…前に片手を地に着き足を回転させて体勢を立て直す。見えない敵がこんなにも厄介だとは思わなかった。所詮は自衛の技術。相手を伸すことなど想定していない。 けれど負けるわけにはいかない。やっと辿り着いた安全地帯を手放すわけ…にはっ… 「はぁ…はっ、はぁっ…はっ、はっ…けほっ…」 「大丈夫。ゆっくり息しな。」 「はっ…っなんなん、ですかっ…けほっけほっ…」 「無理に喋んなって。ほら。」 本当になんなんだ。これは…どういう状況…?どうして私は…自分より年下の…おそらく新入生に、抱きしめられて背と頭を撫でられているんだろう…というか…くすぐったい。 自分も髪は長い方だと思うが目の前の彼は生まれてから1度も切ったことがないというように男児にしては長すぎるさらさらの髪を項で束ねているのだが、前に流れやすいのか私の首元をくすぐっていた。 それでも上がった息を整えている間彼はずっと私の背中を摩っていた。その体は汗ひとつかいておらず、ひんやりとしていて火照った体には気持ちが良かった。 故に思わずだらりと下げていた手を彼の腹に回そうとした瞬間──── 彼は私を軽く突き飛ばすようにして後方へ跳びずさった。少しよろめいた後にどうにか体勢を立て直し、前方を見れば青と黒が霞んで見えた。 「っは、すっげ…最っ高…!これ独学?」 無言で繰り出される蹴り、突き、足払い…さっきの先輩に比べると荒いが速い。こんなに…楽しいのは久しぶりだ。久しぶりと言っても1ヶ月くらいだが…それでもまさか学園(ここ)でこんなにも楽しめるとは…何より今対峙している相手は家にいる誰よりも美しい。肩まで流れる透き通るような青い髪。片側だけ跳ね上がった綺麗な眉。こちらを睨め付けるように細められた瞳はまるでオニキスのように漆黒の輝きをもつ…はずだ。 どうして。そんなにも寂しそうで悲しそうなんだ。貴方も誰かに認められてえの?気づいてほしいのか?ならこんなとこでこんなことしてる場合じゃねえだろ。 「貴方は、貴方らは何に怯えてるんだ。」 「…勝手なこと言ってんじゃねえよガキが。出ていけ。」 「…ふっくくっそのガキに負けてんのになんでそんな強気なん?」 「はっだーれが負けてるって?」 「?!っ…ぁ…ずり…っ…」 肩口に走った重い衝撃。次いで意識を失う前独特の気持ち悪さ… 「ずるくねえよ。」と俺の下にいる先輩がめっちゃ綺麗に微笑った気がした───── なんか…揺れてる…あったか、気持ちい… 「ね、起き、て…」 「は…」 「あ、大丈夫…?」 …多分、先輩。だが俺がその人に持った第一印象は「柴犬」だった。…あいつにもちょっと似てる。灰色の目とか俺に尻尾振るとことか…って尻尾は振ってないか。けどヤバ、可愛すぎ。撫でたい。 「ね、どこか…痛い…?」 「っは?あっいやどこm、っう…」 「っやっぱ、り…どこか…」 「いや、大丈夫。先輩も生徒会?」 「うん…君は、黒瀬…だよね。」 うっ、俺かんっぜんに問題児…つか俺なんで…あー屋上でストレス発散しようと思ったらFの先輩がいて二人がかりでやられて…俺って案外面食いなんかな。いやいやあの家におって今更? 「黒瀬…?」 「?っ……」 やけにワンコの顔が近いと思ったら俺の方がワンコの頭をわしゃわしゃーって…考え事をすると周りが見えなくなる。悪い癖。 「ほんと、に大丈夫…?」 「…うす。さーせん。あの今何限?」 「よん、もう、すぐ昼休み。」 「んーじゃ教室行っても意味ない、よな?」 「ん…俺は、そういう、こと…別に強制、しない…俺も教室、苦手…だから。」 「そ、か。先輩名前は?なんか俺ばっかり知られてんのずるいっつうか。」 「ふふっ、蓮見。今は、これだけ。」 かっわ…やばいこの人といると語彙力が低下する。ふわって笑って首傾げんなし。 「黒瀬、この後…どうするの。」 「ん…保健室。」 「そう。送って、いこうか?」 「あっいや、一人で行ける。蓮見先輩は生徒会戻んの?」 「うん。」 「そ。じゃまたな。バイバイ。」 「また」なんてきっとない。会長様も梨木先輩も蓮見先輩も、俺とは違う。俺はどちらかというとFの連中みたいな、好戦的でどうしようもない人間…っていったらFの奴らに失礼か。まあ1年くらいは耐えられっかな。適当にふらついて遊んで…また1から。 「ただいま伊吹。」 4限が始まる前に保健室を出て行った問題児はそんなことを言いながら昼前に堂々と帰ってきた。「おかえり。」などと言ってやる義理はないが気になることがあったために彼に目を向けると後ろ手にドアを閉めて… 「黒瀬?」 「んあ?」 人間には誰しも必ず癖がある。それは驚異の頭脳とおそらく身体をも兼ね揃えるこの問題児にも言えること。 ペンを持つのは右。長い髪は左手で後ろに払う癖がある黒瀬は短気なのか何なのか物を取る時、扉を開ける時などは近い方の手で動作する。 別に、その癖が意図的に変えられた風ではなかった。だが…今保健室の扉を閉めた黒瀬にはどこか違和感があった。 人間には誰しも必ず癖がある…それは自然に行われるからこそ癖と言える。 「ッ…」 今のこいつの「それ」は作られたものだ。 思いっきり右手を引くと案の定、力が抜けたように素直に倒れ込んでくる黒瀬を支えながらそのままソファに誘導する。 「っはぁ…んでお前はこの短時間で傷作ってくんだよ。」 「…はっ、ぁ…なんで分かんだよ。」 「上手かったけどな。」 「答えになってねぇ」 「隠さなくてもいいだろ。正当な理由持ってここに来る分にはいいって言ったろ。」 「…怪我されて困るって言ったのは貴方だ。」 「あーあーそうだな。そもそもどうやったらこの安全地帯で怪我すんだよ。」 「けーんか。売ったの俺。」 「…はぁっ自業自得じゃねえか。相手に怪我は?」 「さあなーけど俺紳士だから綺麗な人には怪我させねえよ。」 「だーれが紳士だよ。喧嘩売ってる時点でアウトだ。湿布取ってくっから脱いでろ。」 「ういー」と適当な返事を聞き流して戸棚に向かい、湿布を取ってデスクを経由し、バスケットとついでに使い捨てのカップを手に彼の元に戻る。 「お前部屋で飯─────っ!?」 どうしてんの。と続けようとした言葉は目に飛び込んできた光景に一瞬にして奪われた。
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