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傷、傷、傷。夥しい数のそれは彼の背中にびっしりと刻まれていた。
「どうかした、ってあーこれ?古傷だから気にすんな。」
「………」
「…そんな顔すんなよ。」
「っどんな顔だよ。今回のはこれか。」
彼が古傷と称したそれらとは明らかに違う熱を持ったそこに触れると、よほど痛んだのか小さく肩を跳ねさせた。それを誤魔化すように溢れた苦笑じみた笑いを聞きながらバスケットとカップを机に置き、フィルムを剥がして、机の上にあったペンケースから鋏を取り出し肩の形に合わせて切れ込みを入れていく。
「…自暴自棄、というか。そんな時期があって。とにかく強くなりたくて。度胸試し、みたいな?まあもともと傷は多かったし別にそんな深刻なことでもなかったし、今でも後悔なんてしてねえしこれからも多分しねえよ。」
「…親は。」
「両方とも死んだ、けどこれはそれのせえじゃねえ。」
「なんでここ来たんだ。」
「人間嫌いだから。あとは…人探し。」
「嫌いってはっきり言うのな。なのに嫌いな「人間」探しに来たのか。」
「ははっおかしな話だよな。あんさ、これどうだった?」」
この話は終わりとでも言うようにバサバサと音を立てて振られた紙の束。彼は俺が採点したことを知っているような口ぶりだった。
「さすが、と言ったところか。」
「…それ、だけ…?」
「ッちょおまっ、何のつもりだ。」
軽い言葉で十分だと、思った。
けれどこれは…明らかに選択を誤った。
反応できなかった。
あの光が、消えている。
闇
これは、
「…っ黒瀬。」
名を呼んだ瞬間、ピクリと体が反応し思いだしたかのように光を灯し、息をしだした。
「ぁ…悪い俺、なんで────っ…」
耳元で息を呑む音が聞こえた。
幼子の泣き止ませ方など知らない。
そもそも彼は男子高校生で、泣いてなどいない。
無意識のうちに未だに上裸の彼を搔き抱いていた。
背を摩るとざらりとした感触が鮮明に伝わる。
「な、伊吹。ほんと悪かったって俺がどうかして「あの短時間で完璧に出来ていた、よく、頑張ったな。」
「っ…は……」
「すごいな。誰に教わったんだ?」
「っ…いろんな、人…おやじとか、ねえさんとか、にいさん、とか…あとは…幼馴染。」
「人間嫌いなくせに関わってる人は多いんだな。院かどこかに入ってるのか。」
「ん…俺が嫌いなんは、人間っつうか…得体の知れないもん、だから…にいさん達は、嫌いじゃない。も、いいだろ、誰か来てもあれだし。」
その言葉にああ…と彼の体を離してやると彼はその言葉とは裏腹にゆっくりと体を起こした。ご丁寧にシャツを崩す彼から目を離し、机の上のバスケットに手を伸ばす。
「昼食。どうせ食堂行かないんだろ。」
「んーまた食堂から取り寄せたん?」
「教師特権、生徒会も使えるけどな。お前自炊とかすんの。」
「あーうん朝晩は。昼はめんどくせえしそんな入んないからさ。」
「はあ?まさかそのなりで胃が小せえとか…マジか。」
「悪いかよ。くくっ貴方も大概に人間嫌いだよな。」
思わずバスケットからサンドイッチを取り出そうとした手が止まった。
その横を平然と通り過ぎて彼はクロワッサンをひとつ口に運んだ。
それを視界の端で見遣りながら再び手を動かす。
「聡いガキだな。」
「ふっ、クククッ俺KYなんよ。」
「触れてほしくないくせに。」
「じゃあ自己中もか。」
「ふっ、じゃあってなんだよ。」
「んーあんさ、Fってなんなん?」
まただ。こいつにとってFというのはそんなに気になるものなのか。それも、そんな顔をして考えるに値するようなもの、なのか。
「…そんなに気になるのか。」
「まあそこいらの人間よりよっぽど解りやすいからその分な。けどその根本が判んねえからどうにも。」
「根本、なあ。知ってどうするんだ。」
「ん…んー…」
一丁前に顎に手を当てて、少し俯き加減に考えを巡らせる彼に、俺が抱いたのは”随分と勝手だな”という冷め切った感情だった。
人間は嫌い。けれど自分と似た者には興味を持ち、ところ構わずに突っ込む…向こうからすればいい迷惑だ。
「止めとけ。お前が関わるようなことじゃねえ。」
「…俺は別にあいつらとどうこうなりたいわけじゃねえんだよ。ただ、俺が何にもできなかったらあそこに、入れたのかって。」
こいつは今自分がどんな顔をしているのか知らないのだろう。人と同じになりたくてたまらない。けれどそんなものにはなりたくない…別にFの奴らは何もできないわけではない。ただ自分を守るのに必死なだけだ。
俺も、よくは知らない。俺がここに来た時から彼らはああで、自分たちだけの世界を持っていた。けれどそんなものは皆同じだ。ここは紅。いくらでも打開策はある。それを成そうとしないのが彼らで、俺たちだ。
「…悪い。そんなこと言われてもって話だよな。今日もう帰るわ。手当てさんきゅ。」
「帰るわってお前「あの、すみません。」
「ああ。どうした?」
「突き指、したみたいです。」
「冷やすものをとってくるから少し待ってろ。黒瀬とりあえ─────あ?」
振り向いたそこに彼はもういなかった。
「あれ、先輩早いのな。」
一棟屋上。まだ誰も校舎に来ていないだろう朝7時。にも関わらず響き渡った声に振り向くと昨日の新入生───黒瀬 慎が堂々と入ってくるところだった。
「ここ貴方らも使ってええん?」
「…はぁ、毎日毎日飽きもせんとよう来るなぁ。」
「別に、先輩に会いにきよんちゃうし。先輩は?何しよん。」
「俺らは早よ校舎に入らないかんのよ。」
「なんで?」
「なんで」純粋な疑問なんやろうなと思うけど、それはこちらが常に思っとることで、答えなんかあれへんから答えようがない。世間…というかここの常識知らずという方が適切か。少なくともこの子は「世間」は知っとる。
「なあ先輩。」
「…あんまり首突っ込んでんと君も普通やなくなるで。」
「ふっ、先輩俺が普通に見えんの?」
「まあ、普通には見えへんかな。莉鶴の方がよっぽど普通や。」
「…普通って何。」
また、答えにくい質問。俺らの普通とこの子の普通は違うと思う。けど、
「あえていうなら見捨てられん子ぉやね。」
「見捨てられん?」
「そやー俺らが憧れる普通はそれや。」
「…俺らって、Fはみんな?」
「ああ、堪忍。そういうわけやないよ、一年はまだなんも解ってへんから。」
「…解ったらそうなるってことだよな。んだよ見捨てられんのが普通って…」
眉間に皺寄せてなんかぶつぶつ言っとるけど、君も結局俺らに絡むんは興味本位とか暇つぶしとか、そんなんやろって思ってしまう。君は、無表情が、無関心がデフォルトやからちょっとだけ喋ったった。流してくれると思ったから、流してくれる、よね…?
「紫乃っ!」
「っ莉鶴?どしたん。そんなに慌て、て…えっ…?」
突然莉鶴に後ろから抱き込まれた。
「なあどした─────」
「お前紫乃に何をした!」
「っ……」
莉鶴の剣幕にこちらを見ていた彼が息を呑んで俺から目を逸らすのが滲んだ視界の中に見えた。
…にじ、んだ…?なんで?
「紫乃、何された?お前がこんな…」
「な、何もされてへんよ…ちょっと、気持ち緩んだだけ…堪忍…」
「…おい一年、出ていけ。」
「…わあった、悪かったな先輩。」
俺から視線を逸らしたまま彼が立ち上がって歩き出す──────
「待って…!」
「っ……」
「紫乃っ?」
彼も莉鶴も驚いとる。でも一番びっくりしたんは、俺自身やった。なんで、なんで呼び止めた?泣き顔なんて後輩に見せるもんやないのに。いやそもそもなんで俺は泣いとるん?俺らに興味持つ子ぉが久しぶりやったから?この子があんまりにも無表情やから?この子が…
「俺らを助けられるから…」
「紫乃?」
「なあっ俺らをっ…東を助けたってくれへん?」
「ッ紫乃お前何を…」
「ッ…!クッ…おっもっ…!」
紫乃が発した言葉の意味を考えようとした瞬間に軽い殺気と共に疾風が巻き起こり、刹那腹に重い突きが入っていた。後ろに跳んで衝撃を逃がし、顔を上げる前に次が来る。どうやら昨日の二人が二人がかりで襲ってきたらしい。殺気を感じさせたのはおそらく黒髪の方。いいコンビ、俺もそんな相棒欲しかった。
左、下、下、右、両サイド…
知らず知らずに、無意識で動く。
あれは、あの人は傷つけたくない。
さて、どうするか…
「…紫乃、黒髪の方を止めろ。」
「「「なっ?!」」」
「そんなことできるわけっ…」
「じゃあ青い方にするか?そっちは俺が楽しみたいんだけどな。」
「狂っている…」そう呟いたのは紫乃か、莉鶴かはたまた絶え間なく襲ってくる二人のうちのどちらか。
守りたかった。でも、俺の甘えで、弱さで、誰一人として守れなかった。なんのために生きているのか判らなくなったその時から俺は狂った。義兄たちに罪を背負わせあいつを独りにして誰が俺を真っ当だというんだ。
「悪魔で十分。仲間を裏切れ。」
「昨日、ここには来るなと言いましたよね。」
「ん?聞いてねえけど。」
「ではもう一度言って差し上げます。二度と私たちに関わらないでください。」
「なんで、俺のほうこそ昨日言ったよな?指図は受けないって。」
「はぁ…どうするんです?東。」
黒髪ロング美人───紺野 紗夜というらしい───の視線の先には黙りな蒼髪の男。時刻は昼過ぎ、場所は変わらず屋上。人数は変わって50人。結論から言うと紫乃は莉鶴と共に紺野を取り押さえた。まさか本当に仲間が裏切るとは思っていなかっただろう紺野は呆気なく捕まり、綺麗な顔を綺麗に歪めていた。
そして東と呼ばれた蒼髪の男に俺は勝った。いや自慢したいわけでも調子に乗ってるわけでもないが…あの顔はヤバかった。俺の真下で四肢を縫い留められ、大きく目を見開いた彼は次の瞬間にはふ…と破顔った。少しだけ光を取り戻した漆黒の宝石を細めて、薄い唇の端を吊り上げて、どこか安堵したように。
「なあ、東、さん。俺なら貴方らを「普通」にできるかもしれん。俺と組まん?」
「……っふ、そんなことをして、お前になんのメリットがある?」
「ん、俺が助けてほしい時に助けてくれたらいい、途中で切ってくれてもいい。貴方はもっと強欲になるべきだ。」
男が持つ宝石が、その表面に俺だけを映している。義兄や義姉と違って、なんの変哲もない、どこにでもいる、平凡な。
裏切ってくれて構わない。
あの人に俺の成長を見てほしい。
「東さ─────」
「理世でいい。」
一年耐えるじゃなく
一年でどれだけ成長できるか
まずは一つ
学園を、紅を、
変える
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