妻の命日は娘の誕生日

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この日僕は一旦自宅に帰ったけれど、夜の22時を過ぎた頃、病院から理世が危篤状態になったと連絡があった。 僕が急いで病院に行くと看護師から、今心臓が止まって救命処置を行っているところだと聞かされた。 僕は集中治療室前の廊下の長椅子に座って、祈るような思いで待ち続けた。 少しすると集中治療室から医者が出てきて、 「いろいろ手をつくしたのですが、残念ながら奥様は今息を引き取りました。」 と説明してくれた。 「ありがとうございました。」 僕は深々と頭を下げて医者にお礼を言った。 僕は体から力が抜けて、長椅子に座ってうつ向いて廊下を見つめていると、いつの間にか目から涙が溢れ出した。 理世の遺体は新型ウィルスの関係で、火葬された状態で自宅に帰ってきた。 翌日の夜に通夜、その翌日に葬儀を執り行った。 僕は帝王切開の道を選んだのは間違っていたのではないかと考えていた。 理世に対して僕は、心の底から謝りたい気持ちでいっぱいだった。 赤ちゃんは『華月(かつき)』という名前に決めて、その後赤ちゃんが退院して僕は慣れない子育てが始まった。 実家の母が手伝いに来てくれて、オムツ交換のやり方を教えてくれた。 赤ちゃんにミルクを与えたり、オムツを交換したりと忙しい時間に追われていた。
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