冬の幻

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 2月の上旬。五郎は4年の大学生活を終え、再来月からの就職を待っていた。楽しい大学生活が終わり、これから社会人になろうとしている。卒業式まで2ヶ月近くある。暇なので、どこかへドライブしてみようと思った。  もう夜だ。日も暮れている。どこまで来たんだろう。ずっと山道を登っている。どこまで登ったんだろう。わからない。だけど進んでみよう。そこに何があるかわからないけれど。 「険しい山道だな」  山道は静かだ。誰も通らない。もう何年も車が通っていないようだ。昔はもっと通ったんだろうか? 今はもうその面影がない。所々には家屋があるが、崩れかかっている。もう何年も住んでいないようだ。 「ん?」  と、山奥に明かりが見えた。まだ住んでいる人がいるんだろうか?  五郎はもっと近づいてみた。そこは学校のような場所だが、看板には簡易宿泊所とある。こんな山奥に簡易宿泊所があるとは意外だな。訪れる人はいるんだろうか?  もう夜も遅い。五郎はこの簡易宿泊所に泊まろうと思った。五郎は簡易宿泊所の敷地に入った。建物の前には校庭があって、駐車場になっている。だが、車はいない。誰も泊まっていないようだ。 「こんな山奥に簡易宿泊所か。もう遅いからここで泊まろう」  五郎は駐車場に車を停め、建物の中に入った。その建物は木造の2階建てで、まるで一昔前の学校のようだ。一番上にはとんがり屋根の時計台がある。 「あら、こんな夜遅くを。お疲れでしょう」  中に入ると、1人の男が声をかけた。その男は40代の若者だ。男は黒いベンチコートを着ている。 「すいません。部屋、開いてますか?」 「開いてますよ。泊まりますか?」  五郎はほっとした。開いているようだ。今日はここで休み、明日に備えよう。 「はい」 「ここには集落があったんですか?」  五郎は気になっていた。この辺りには廃屋が多い。ここには何があったんだろうか? 「はい。ここには昔、塚茂(つかしげ)という集落があったんです」  この辺りには塚茂という集落があり、最盛期には300人ほどが暮らしていたという。ここに暮らす人々は狩りで生計を立て、山菜を採ったりして生活していたという。 「へぇ」 「昔はたくさんの人がいたんですけどね、みんないなくなって、5年前にこの集落は消滅したんです」  塚茂は5年前に消滅した。豊かな生活を求めて若い者は集落を出て行き、高齢者ばかりになった。その高齢者も死んだり、息子の家に引っ越したりで人がいなくなったという。 「そうなんですか」 「はい。私はその学校に通ってた最後の子供なんです」  この簡易宿泊所は廃校になった塚茂小学校の校舎を改装したもので、校舎がそのまま使われている。教室は部屋に、職員室は事務所になっている。また、ここには音楽室や理科室も残されていて、自由に撮影をする事ができる。 「本当に?」 「はい。当時の写真があるので、見たいですか?」  急に誘われた。だけど、せっかくだから、見ておこう。この集落がどんな姿だったか、知りたいな。きっと、何かのためになるかもしれないから。 「お、お願いします」  そうしてやって来たのは、2階にある図工室だ。男は図工室の明かりを点けた。図工室は机や椅子がそのまま残っていて、壁いっぱいに写真が飾ってある。それらは昔の塚茂の写真だ。 「これが昔の写真なんですよ」  五郎は写真をじっと見ている。その多くが白黒だが、カラー写真も多少ある。白黒写真にはそこそこ多くの人がいる。だが、カラー写真の多くは人が少ない。過疎化が進んでいる頃だろうか? 「賑やかだったんですね」  すると、男は下を向いた。何かを思い出したようだ。辛い思い出のようだ。 「だけど、みんないなくなって、そして、20年前に閉校したんです。再末期には分校だったんですけど」 「そうなんですか」  塚茂小学校は次第に人がいなくなり、30年ぐらいから分校になった。そして、20年前に閉校した。男はその最後の卒業生だ。最後の卒業式はたった1人。とても寂しい卒業式だったという。  五郎はその話に聞き入っていた。閉校のニュースは3月下旬によくやっているけど、まさか閉校になった小学校に泊まるとは。でも、いい経験になりそうだ。今夜が楽しみだな。  その夜、五郎は教室を改装した部屋で寝ていた。ベッドは2段で、それが4つぐらいある。五郎の他には誰も泊まっていない。とても静かな夜だ。都会ではこんなの体験できないだろう。  と、校庭がなぜか賑やかだ。何だろう。誰かが遊びに来ているんだろうか? こんな山奥に、夜遅くに遊びに来るなんて。 「ん?」  五郎はベッドから起き、ベンチコートを着た。外はとても寒い。雪は降っていないものの、気温は氷点下だ。  五郎は教室から出て、窓から校庭を見た。そこには多くの光が見える。そして、よく見ると、彼らは子供たちだ。少し昔の服装をしている。オバケだろうか?  五郎は興味津々で校庭にやって来た。やはりそこには子供たちがいる。子供たちはみんな笑顔で、楽しそうに遊んでいる。 「子供たち?」  その時、子供たちは五郎がいるのに気が付いた。お客さんなんて、何日振りだろう。とても嬉しいな。こんな山奥の簡易宿泊所に客が来るのはとても珍しい。 「遊ぼうよ」  子供たちは五郎を誘った。五郎は少し戸惑っているが、遊ぼうと思っているようだ。 「い、いいけど」  五郎は戸惑いながらも遊ぶ事にした。 「ありがとう」  五郎は子供たちと遊びだした。子供たちは野球をしているようで、五郎はバッターボックスに立った。マウンドには坊主頭の男の子がいる。 「それっ!」  男の子はボールを投げた。五郎は思いっきり空振りした。ストライクだ。少し恥ずかしい。五郎は少し下を出した。  再び男の子はボールを投げた。五郎はうまく打ち返した。だが、ボールは外野に飛ばず、ゴロになった。  その後、五郎は別の子供たちと共にそれぞれの事を話し出した。子供たちは五郎の言っている事を真剣に聞いている。 「お兄ちゃん、東京に住んでるの?」  五郎は生まれも育ちも東京だ。田舎に住んだことがない。興味はあるけど、不便な田舎で住むよりは便利な東京に住むのがいいと思っている。 「ふーん。東京って、いい所なの?」 「いい所だよ。欲しいものがいろいろ手に入る、豊かな場所だよ」  男の子は寂しそうだ。そんな豊かさを求めて、みんな塚茂を出て行く。だから塚茂は消えてしまったんだ。それは時代の流れだろうか。こんな時代の流れでいいんだろうか? 「そっか。だけど、こんな自然、見る事できないでしょ?」  五郎は山道で無人の山林の中を走ってきた。そこは、都会では味わえない静寂で、ずっと空気が澄んでいる。 「うん。都会ではこんなの、見れないよ」 「豊かな生活を求めて、みんな塚茂を出て行くんだね」  男の子は下を向いた。みんないなくなった。こうして塚茂は人々の記憶からも消えていくんだろうか? 「寂しいかい?」  五郎は男の子の頭を撫でた。男の子は少し笑みを浮かべた。 「ううん。だって、みんながいるから」  五郎は遊んでいる彼らを見た。みんながいるから、寂しくないだろうな。だけど、もっと多くの人と遊ぶのがいいだろうな。 「今も昔の塚茂であってほしい?」  五郎は昔の写真を見て感じた。あの頃の塚茂の方が好きなんだろうか? その時の塚茂に戻ってほしいと思っているんだろうか? 「うん。でも、もう戻らないんだよね」  男の子は泣きそうだ。どんなに願っても、昔の賑わいは戻らない。塚茂の集落はもうない。人はもう戻ってこない。この簡易宿泊所を残すのみだ。それも、いつまであるかわからない。だけど、ここに塚茂があった事をこれからも伝えてほしいな。 「寂しいけれど、それが時代の流れなのかな?」 「うーん・・・」  男の子は前を向いた。その林の向こうには東京があるんだろうか? 東京は賑やかだろうか? ぜひ行ってみたいな。  翌朝、五郎はベッドで目が覚めた。教室に戻った覚えがない。一体、昨日の幻は何だったんだろう。ひょっとして、オバケが見せたんだろうか?  五郎は教室から出てきた。廊下は静まり返っている。多くの子供たちが行き交ったであろう。だが、今はただ静かにわずかな宿泊客を待つのみだ。 「あれっ?」  五郎は1階にやって来た。そこには男がいる。ふと、五郎は思った。昨日見たオバケの1人は、この男の少年時代だろうか? 「あっ、昨夜はありがとうございました」 「いえいえ、またのお越しをお待ちしております」  五郎は建物を出た。校庭は何事もなかったかのようだ。昨日と同じように駐車場には車があるし、辺りには人の気配がない。だけど、この校庭には様々な思い出が詰まっているんだろう。昨日の夜に見た幻のように。  五郎は車に乗って、簡易宿泊所を後にしようとした。と、校庭に誰かがいるの気付いた。 「ん?」  よく見ると、昨日遊んでくれた子供たちだ。彼らもまるで従業員のように見送っているようだ。それだけでも、五郎は嬉しく感じた。  五郎は簡易宿泊所を後にして、その先に続く山道を登っていく。その途中にも廃屋が点在している。ここにも人が住んでいたんだな。どんな人の営みがあったんだろう。  そして、五郎は思った。都会に移り住むと、得るものもあれば、失うものもある。得るものと失うもの、どっちがいいんだろう。その答えは、なかなか見つからない。
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