5.遭遇

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5.遭遇

 午前七時、ユタナは騒がしい声で目を覚ました。その瞬間、こちらを覗き込む六人の子供たちの顔が見えた。こんな朝の目覚めは初めての体験だ。子供たちの大半は普通の人間なので、魔法使いがいるだけでわくわくするのだ。  女の子が慌ただしくカーテンを開けた。突然、まぶしい光が室内に射し込んだので、一瞬目がくらんだが、すぐに慣れた。窓越しから青空が見える。昨夜の雨が上がって、きょうはよい天気だ。白い雲の切れ間から、日の光が射している。  女の子が大声を出して、テルマたちに知らせた。  「ユタナが目覚めた! ねぇ、目覚めたよ!」  「はいはい、そんなに大声を出さなくても聞こえているわよ」衣服を手にしたメルが室内に入ってきた。「おはよう、ユタナ。体の調子はどう?」  背を起こしたユタナの体調はいつもどおりだ。風邪を引いても大抵は一日で完治してしまう。風邪をこじらせたことがないので、このときは魔力があってよかったといつも思う。  「はい。おかげさまで、すっかりよくなりました」  「それはよかった。ボストンバッグに入っていた下着とか衣服は外に干しておいたわ。乾くまでこれ着てて」と、Aラインのワンピースを手渡した。  着心地が良さそうなワンピースを受け取った。  「ありがとうございます」    「それ、すごく楽ちんだし、着やすいわよ」  「はい」  メルはここにいる子供たち全員に言った。  「みんなユタナに自己紹介して」  それぞれ、ユタナに自己紹介した。  カーテンを開けた六歳の女の子は、オリハ。ユタナの目覚めを知らせた四歳の女の子が、ハーミイ。七歳のお転婆な女の子、ルッカ。やんちゃな十歳の男の子、ポーポ。ひょうきんな九歳の男の子、フロ。  ナキはひとつ年上の親友を連れて、ボアニーと室内に入った。  「おはよう」  ユタナは返事した。  「おはようございます」  ナキは親友を紹介する。  「こいつは、トーヤ。俺の親友だ。ここで兄弟みたいに育ったんだ」  トーヤはユタナに挨拶した。  「話は聞いたよ。可愛い魔法使いが来たってこいつは大喜びだ」  「しばらく厄介になります」  これから家族みたいに暮らす。丁寧すぎる言葉なんていらない。ナキはユタナと仲良くしたかった。  「なんか他人行儀だよね。そんな堅苦しい言葉、使わなくていいよ。こっちが疲れる」  学校でも家でも口数が少ないので、急に言われても戸惑う。だが堅苦しいと言われたので、畏まった言葉を使うのはやめた。  「……うん」  ルッカがユタナのほうきに跨がった。すると、寝間着が風を孕んだ。つま先が床を離れ、体が浮き上がった。  「ねぇ、ねぇ、ユタナ! 見て、見て! 少しできるの! あたし、将来、魔法使いになれる?」  賑やかすぎて、少し困惑する。  「たぶん……」  「ちょっとかしてみろ」と、トーヤがルッカからほうきを取り上げた。  「あたしのほうき横取りした!」  「いつからルッカのほうきになったんだよ。これはユタナのだ」トーヤがほうきに跨がると、ほうきが急発進し、壁に激突した。「いってぇ! なんだよ、もう!」  メルは呆れた表情を浮かべて、トーヤに言った。  「あなたが子供のころから言ってるけど、魔力が弱いからほうきを制御できないの。危ないからほうきに乗らないで」  ナキが高らかに笑って、トーヤを馬鹿にした。  「またガキのころみたいに骨折するぞ」  「うるせぇよ。どうせ俺は乗れないよ」トーヤはほうきを壁に立てかけた。「ユタナに返す」  神様にお祈りをして、朝食をとってから、きょうが始まる。学校に登校したり、畑仕事をしたり、それぞれやるべきことをし、平穏な日常生活を過ごす。メルは子供たちと一緒に廊下に出た。  「さあ、朝ご飯を食べて、きょうも一日、頑張りましょう。食堂に移動してね」   ・・・・・・・  木製の長テーブルが設置された食堂で朝食をとっている最中、ボアニーの様子が気になったフロが椅子から腰を上げた。  やはり、最近、食欲がないようだ。ほとんど残している。以前までは、“よく噛んで食べなさい” と声をかけていたくらい食欲旺盛だったのに……いったいどうしたのだろう?  伏せているボアニーは、上目遣いでフロを見上げた。何か言いたそうだが、何が言いたいのかわからない。  「具合悪いの? 大丈夫?」  ポーポもボアニーに歩み寄った。  「ぜんぜん食べてないじゃん」  ナキとトーヤも席に着いたままボアニーの食器の中を覗いた。  以前から心配していたナキは、テルマに顔を向けた。体調が悪いのに我慢しているのはかわいそうだ。  「獣医さんに診てもらったほうがよくない?」  椅子から腰を上げたテルマは、ボアニーの頭を撫でた。  「そうしたほうがよさそうね」  メルも獣医に診せるなら早いほうがよいと考えていた。  「心配だからきょう連れて行くわ」  テルマは返事した。  「そうしてあげて」  ナキと向かい合わせに座るユタナは、ナキの食事の量に疑問を抱いた。みんなよりも量が少ない。  ボアニーばかりでなく、ナキも食欲がないのかなぁ? 積極的な子なら、訊いてみるんだろうな……と、思いながら、何も訊かずに、食事をした。  「……」  その後、食事を終え、学校に行く子供たちは登校した。トーヤも登校したが、ナキは絵が描きたいので、いまは学校に通っていない。  だがナキは、クラスのムードメーカーのような存在だったので、友達がたくさんいる。学校に遊びに行くことはあるのだが、嫌いな授業は受けずに帰ってくる。つまり “サボり” だ。  それに同級生もここに遊びにくるので、わざわざ学校に行く必要もないとナキは言う。美術と体育は得意だが、その他の勉強が嫌いなのは、テルマたちもわかっているので、いまは本人の好きにさせている。  「ユタナ、ちょっとお願いがあるんだけど」と、ナキがユタナに話しかけると、  「ごめん、ナキ。ユタナに話があるのよ。あとでも大丈夫?」と、テルマがナキに部屋に戻るように伝えた。  「ああ、構わないよ」と、ナキはテルマに返事してから、ユタナに言った。「マザーとの話が終ったら、俺の部屋に来てもらえる?」  「わかった」  テルマが席に着くと、向かい合わせの位置にユタナも座った。メルたちも席に着いた。  テルマがユタナに尋ねた。  「きのうラーラから魔法医療学校に通っていると訊いたんだけど、みんな登校したのに、なぜユタナは行かないの?」  ユタナは、いじめを受けていることや、全教科の単位が足りないので留年が決定していること、いまの事情を隠さずに打ち明けた。  するとテルマたちは顔を見合わせた。  テルマは、ここに来たのだからすべて心機一転するよい機会だろうと考えた。  「平和の宿にいる院長のココロ先生が、夜間の魔法医療学校の校長でもあるのよ。近いうちにココロ先生が来るから、そのときにでも話してみましょう」  ユタナは尋ねた。  「どうしてここに平和の宿の院長先生が来るんですか?」  「まだナキから何も聞いていないのね」  「あなたが入院していたとき、ナキに会ったでしょ。あのとき、余命宣告されたのよ」  ナキはどこから見ても元気そのもの。テルマの言っている意味がわからない。そもそも、メルの体調が悪いと思い込んでいたのだから。  「余命宣告? どういうことですか? ナキはどこか悪いんですか?」  メルは、ナキが余命四ヶ月の悪性変異細胞腫の罹患者であることを説明した。  驚いたユタナは、あのとき診療所の待合室でメルが泣いていた理由と、みんなよりも食事の量が少なかった理由を理解した。  「胃の調子が悪かったのよ」メルは目に涙を浮かべた。「まさか、あんな診断を受けるとは思わなかった。ナキの年齢でなる病気じゃないのに……」  ユタナは、どのような言葉をかければよいのかわからなかった。診療所の待合室で泣いていた理由は、彼女の体調不良ではなく、ナキの診断のことだった。  テルマは今後のナキの治療について説明した。  「近いうちにココロ先生がナキの様子を見にくる。ナキは今後、診療所には通わないし、入院もしない。病気が進行したら延命治療は行わず、平和の宿にも行かずに、ここで看取ることにしたの。これは本人が望んだことよ」  マロネが涙を拭った。  「あの子、死ぬならここがいいって……なぜこんなことに……未だに信じられない……」  アリがユタナに顔を向けた。  「ナキは同情されるのが嫌いだから、ふつうに接してあげてね」  ユタナは返事した。  「わかりました」    テルマはユタナに言った。  「ナキに呼ばれていたわね。行ってあげて」  「はい」と、ユタナは席を立った。  食堂から出たユタナは、ナキの部屋に向かった。子供たちの寝室でもある大部屋から賑やかな声がした。子供は元気だな、と思いながら、ナキの部屋のドアを開けた。すると、木製のイーゼルにキャンバスを置くナキの姿が見えた。その向かい側には椅子が置いてあった。  ナキはユタナに指示した。  「そこの椅子に座って」  何をするのだろうと思った。  「うん」  「ユタナを絵の題材にしたいんだ」  すごく驚いた。なぜ無表情な自分なんかを? という疑問が湧いた。  「あたしを?」  「俺の病気、マザーたちから聞いた?」  「うん……聞いた」  「画家になりたかったんだけど、その夢はもう叶わない。でも、生きた証を残したい。俺が描く最後の絵を意味のあるものにしたいから」  「大事な絵なのに、どうしてあたしなんかを……」  「逆に訊いていい? ユタナはどうして、“あたしなんかを” って言い方をするの? 俺はユタナを描きたいんだ」  「だって、あたしは笑うことができないし、もっと綺麗な人がたくさんいる」  「ユタナはじゅうぶん綺麗だよ。それに、ただ綺麗な人を描いても、それこそ意味がない。ユタナが笑顔を取り戻すきっかけになるかもしれないじゃん。俺とユタナが出会ったことには、必ず意味があるはずなんだ」  「……偶然に意味なんてないよ」  「そんなことないよ。だって俺たちは、道ですれ違うだけの縁がない者同士じゃないんだ。もしそうなら、ユタナが落としたお金を拾っただけで、再会してないよ。きっと、神様のお導きだよ。マザーもそう言ってたよ」  ぽつりと呟いた。  「神……」  ナキには夢があり、友達もたくさんいて、両親はいなくても豊かな人生を送っているように見えた。自殺未遂をした自分とは異なり、生きていたいはずだ。助からない病気に罹ったというのに、なぜ神を信じるのか、不思議でならなかった。両親を失った日に信仰心も失った。  所詮、神なんかいやしない……人間が創り出した空想だ。生きるということは、ときに何かに縋りたくなるようなことも起きる。その人間の心理が創り出した都合のよい存在だ……と、いまでは神を否定している。  「ユタナの助けになりたいんだよ。君は笑ったら絶対にかわいいし、いつか必ず笑えるようになる。俺にはもう笑顔のユタナが見えているんだ」  あたしを助ける……どうして?   ユタナは双眸に涙を浮かべた。  ラーラもテルマたちもみんな温かい。  誰の人生において、転機とは、ある日突然、起きるものなのかもしれない。公園のベンチの上でずぶ濡れになっていたあのときからは、想像もつかないような展開だと思った。だが、それは神の導きだとは思っていない。  ユタナは人の温かさと優しさに感謝したが、笑顔を作ることはできなかった。だけれど、涙がぽろぽろと零れた。いつもは悲しくて泣くときに流す涙。きょうはちがう。  「ありがとう」  ナキはティッシュを持ってユタナに歩み寄った。ユタナの頬を伝う涙を拭ってあげた。  「泣くなよ」    その瞬間、胸が高鳴った。ユタナにとって始めての感情だった。目をぱちくりさせて、ナキを見上げた。いま心に湧き上がった感情は、いったいなんだったのか……例えるなら、心が甘酸っぱい苺になったかのような心地よい感情だった。  椅子に戻ったナキは腰を下ろし、キャンバスに下書きを始めた。  「絵は描き終わったら見せてやるよ。途中経過は内緒だ。できあがってからのお楽しみ」   ・・・・・・・  ナキから絵のモデルを頼まれたユタナは、下書きが終るまで、黙って椅子に座っていた。何もせずに座っていただけなのに、退屈ではなかったし、時間も長く感じなかった。その理由は、絵を描くナキの姿を見ていると、心に温かいものを感じたから。でも、これが恋なのかは、まだわからなかった。  その後、一時間ほどで下書きを終えたので、ユタナはナキの部屋から出て、廊下に足を踏み出した。すると、玄関にアリがいたので、何か手伝えることはないか尋ねてみた。買い物に行くところだった、と彼女は言ったので、代わりにお使いに行くことにした。  ほうきに跨がったユタナは、空を飛んで、街中の食料品店へ到着した。頼まれた食材を購入すると、帰りはほうきに乗らず、たまに歩くことにした。どこへでもほうきでひとっ飛びできる魔法使いは、運動不足になりやすい。  のんびりと街並みを眺めながら歩いていると、いつもいじめてくるレリナと、同級生ふたりの姿を見かけた。まさかこんなところで遭遇するとは思わなかった。  ユタナは、怖くて足が震えた。  (うそ……最悪……)  気づかれる前に逃げたい、と思い、踵を返した瞬間、運悪く気づかれてしまった。  薄ら笑いを浮かべたレリナは、こちらに歩み寄ってきた。  「あら、デスマスクちゃん。学校サボって何やってるの?」  ユタナは、咄嗟にほうきに跨がった。地面を蹴り上げ、高速でほうきを飛ばして逃げた。  「逃がさないよ!」と、レリナたちもほうきに乗って追いかけて来た。  ユタナは逃げ切るために、あえて空に浮上せず、入り組んだ建物の合間を縫うように、速度を上げたまま低空飛行した。そのとき、スチール製の大きなゴミ箱を発見した。蓋が開いていたので、急いでその中へと飛び込んだ。そして内側から、そっと蓋を閉めた。  ゴミ袋から漂う鼻を衝く悪臭に顔を歪めた。だがそれよりも、レリナが怖い。  このまま気づかずに通り過ぎてほしい……と、願っていたところ、突然、ゴミ箱の蓋が開いた。驚いたユタナの目に飛び込んできたのは、レリナではなく、なんとナキだった。  「ユタナ!?」ユタナ以上に驚いたナキ。それもそのはず、ゴミ箱の中にユタナがいたのだから。「何してるの!?」  「お願い閉めて」  ゴミ箱を開けた経緯(いきさつ)を話した。  「学校に行って、みんなと雑談して、授業はサボって帰ってきた。で、そこの店でお菓子を買って食べ終ったから、袋を捨てようと思ってゴミ箱を開けた。そしたらなぜかユタナいる。なんでこんなところにいるんだよ」  「閉めて」レリナに見つかりたくないユタナは焦った。「いいから早く」  「どうして?」  ユタナは、ナキの後ろにいる顔を見て青ざめた。  「レリナ……」  「ゴミはゴミ箱へ。ゴミの自覚があるってことね」  ナキは後方を見た。  「誰だよ、お前ら」  「学校サボってばかりいるからお仕置きするのよ。てゆうか、おまえに魔力はない」レリナは、ナキに手のひらを向けて、魔法を放った。「魔力を持たない人間は邪魔! 凡人すぎる!」  吹き飛ばされたナキは、ゴミ箱に衝突し、背中を強打した。  「いってぇな! 何するんだよ! 魔力を持たない人間に、魔法で攻撃するのは違反だってことを知らないのかよ!」  一緒にいた同級生のうちひとりもレリナに顔を向けた。  「ヤバいよ、あいつの言うとおりだよ。うちら退学になっちゃう」  もうひとりも違反し、退学になることを恐れている。  「へたしたら捕まるよ」  だがレリナは、もう一度、ナキに向かって手のひらを向けた。  「大丈夫よ、うちのパパ、権力があるから」  レリナが魔法を放とうとした瞬間、  「その人、病気なの! やめてぇ!」と、ユタナは叫び声と同時に、手から魔法を放ち、レリナたち三人を思いっきり吹き飛ばした。  勢いよく吹き飛ばされた三人は、大地に頭を強打し、すぐには起き上がれなかった。よほど痛かったのか、頭をさすりながら、やっとの思いで背を起こし、立ち上がった。  三人は、驚いた目でユタナを見たあと、「覚えてなさいよ!」と、捨て台詞を吐いて、この場から立ち去った。  空を見上げると、ほうきに乗って逃げていく三人の姿が見えたので、ナキが笑いながら言った。  「ユタナ、超すげぇじゃん! じつは強いんじゃないの?」  「そんなことない」  「ユタナは人のためになら強くなれるのかもね。だけど、まずは自分のために戦うべきだ。いまの調子でいつも反撃を続けたら、ユタナをいじめるヤツはいなくなる。むしろクラスの人気者だ。だって、みんな好きであの女に従ってるわけじゃない。  自分もいじめられたどうしようっていう気持ちが強いんだ。だから仕方なく従っている。ユタナが反撃したら、そうゆう人たちも味方につくよ」  「嫌だよ。どんな理由でも暴力は暴力だよ。あたしの魔法は人を救うためにある。人を傷つけるために授かったわけじゃない」  「こんなときは、ちゃんと自己主張できるんだね」  言っている意味がわからなかった。  「え?」  「優しいのはわかるけど、それは時と場合による。身を守るために、必要なことだ」ユタナの脇の下に手を入れて、ゴミ箱から引き上げた。「そうすれば、こんな臭い場所に逃げなくてすむ」  ゴミ箱から出たユタナは、首を横に振った。  「かもしれないけど……あたしはいや」  「わかったよ」どんな言葉を言っても、ユタナは拒否するので、説得を諦めた。「とりあえず、家に帰ってシャワーを浴びたほうがいい」  自分の体のにおいを嗅いだ。  「うん……」  (超臭い……)  すごく怖かった。ナキが言うとおり、二度とゴミ箱には入りたくない。だけれど、暴力のために魔法は使いたくない。自分の身を守るために戦うことも必要なのは理解できるが、ひとを傷つけたくない。暴力は暴力を生むだけ。魔法は人を救うためのものだと、両親が言っていたので、それを守りたいのだ。  
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