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「で、どうするつもりなんだい?」  智樹は椅子を逆向きに座って、背もたれで頬杖をついた。 「何が?」 「何がって、真県さんだよ。もうホームルームが始まる。約束の放課後まで時間がないぞ」 「どうって……何か話をしたいみたいだから、会ってはみるつもり」  確かに急な出来事で不安ではあったけれど、こうして直前になってみると、特に気にするほどのことではないのではないかという気持ちが湧いている。 「案外、告白だったりな」 「揶揄わないでよ」 「半分は冗談さ。でもみんな噂してるよ。告白と中二病とで意見が分かれてる」 「他人事だと思って……」  気楽なものだ。  確かに真県さんは中々端整な顔立ちをしているから、多くの人から好まれる容姿なのだろうけれど、僕はさっきの視線による恐怖の方が勝っている。  そんなことより気掛かりなのは、真県仁魅が僕の眼のことをなぜ知っているのかということだ。もしかすると彼女から何か聞けるかもしれない——そんな期待から、彼女と話してみようと決めたのだ。  瞬く間にホームルームが終わり、ついに約束の時間になった。クラスの生徒の半数は教室を出て行き、もう半分は残って僕らの様子を窺うつもりのようだった。  ところが、そのまま十分、二十分と経過しても真県さんは席を動かない。  やがて野次馬たちは待つのに飽き、ついには僕と真県さんの二人だけになった。  智樹は、邪魔しちゃ悪いからと言って早々に部活に行ってしまった。アイツめ……と恨みもしたけれど、眼の話をするのであればその方が都合が良いかもしれない。  その時、真県さんがすっと立ち上がった。  来るか——と、僕は身構える。  真県さんはツカツカと僕に寄り、すぐ横で立ち止まった。彼女の長い前髪の奥で、吊り上がった目が夕陽を反射している。 「それで、話って……何……?」  僕は徐に立ち上がる。  こうしてみると、真県さんの背は僕よりも十センチメートル程も高いことに気が付く。 「——くな」 「え?」  僕が疑問の声を発するのと同時に、真県さんの両手が僕の肩に掴みかかった。どんな魔法を使ったのか、僕は一瞬にして床に押し倒されて、気付けば馬乗りされていた。 「え、え?」 「良いから、動くな」  彼女の痩せた手が、僕の頭を押さえつける。 「もう……限界だ」  真県さんは不気味な笑みを浮かべて言った。 「いや、ちょっと」  動くなと言われるまでもなく、これでは動きようがない。 「ど、どいて……!」  何とか脱出を試みるも、腕は真県さんの膝でがっちりと抑え込まれ、さらに体の重心に乗られているから起き上がることもできない。一体何をされるのか。半ばパニックになりながら、僕は唯一動かせる脚を闇雲にばたつかせる。  真県さんの指が僕の左目の瞼に触れた。 「うっ」  反射的に目を閉じたけれど、すぐに無理矢理こじ開けられてしまう。頭を押さえつける手に一層力がこめられた。 「すぐ終わる」  ——すぐ終わるだって?  何の説明もなく組み敷かれる恐怖が、そんな言葉で治まるはずもない。 「は? え?」  僕は一層混乱した。どういうつもりか、真県さんは覆い被さるように体を倒し、顔を近づけてきたのだ。僕の顔の周りに垂れる彼女の髪が、怪しげな黒いベールとなる。 「やっやめっ……おいっ」  真県さんの口がぱっくりと開き、艶かしく濡れた舌先が露わになる。 「ちょ、え? ちょちょちょっと……!」  女の子と口付けを——つまりキスをするということに、憧れが全くないと言えば嘘になる。けれども、こんな訳の分からない状況でするのは望んでいない。怖すぎる。  ところが、その口は僕の口にではなく、左目に迫っていた。  まさかと、僕は真県さんの意図を察した。  目を閉じようにも瞼が指で押し広げられているから、僕は眼球をきょろきょろと動かすことしかできない。 「なっ、待っ、んっ——」  左の視界が暗くなると同時に、眼に激痛が走った。 「ぁあっ!」  眼球を舐められたのだ。刺すような痛みに、体がびくびくと痙攣する。 「痛い! やめっ……ろっ……痛っ!」 「ハァ……だから、動くなって」  ハフと生温かい息を感じた直後、再び眼に舌が触れて痛みが襲う。  それが何回も繰り返される。 「ぐぁっ! …………く! …………んっ……あ……」  どれだけ時間が経過しただろう。  ピチャピチャと、濡れた音が延々と教室に響く。 「ん……」  不思議なことに、最初の時のような痛みはもうない。それどころか、柔らかな舌が眼球を這い回る感触と、真県さんの口から漏れる温かな吐息に、僕は背徳的な興奮を覚え始めている。  目を濡らしているのが、唾液か涙か判らない。僕はただぼうっと、眼前で舌が出入りする真県さんの口を見つめていた。  下瞼の縁の辺りで舌が素早く動かされると、首から腰にかけて電流が走り、僕の体は弾けるように仰反った。 「んぁっ」  頭の中がちかちかして、何も考えられない。脳が蕩けそうなほどに、全身が弛緩してしまっている。 「あ……」  チュル——という音がして、淡い紅色の舌が離れていく。 「ハァ……」  唇から垂れる唾液の糸を舌で巻き取りながら、真県さんは恍惚とした表情で僕を見下ろした。  肩で息をして、頬を紅潮させて、唇を涎で濡らしている女の子が、僕に跨っている。状況だけ見れば、同年代の男子に羨ましがられることなのかもしれない。 「ほら……もう一度」  もはや抵抗する思考力もなく、僕は真県さんに言われるがまま左目を差し出した。  舌が僕の眼に触れる寸前で、真県さんの動きがぴたりと止まった。 「蒼汰……?」  誰かの声がして、真県さんは顔を歪めて舌打ちをした。  声の方を見ると、教室の入り口に女子生徒が立っている。 「……奏」  待ちきれずに教室まで様子を見に来たのか——そう理解すると、僕の頭の中に風が吹き抜けて、意識が明瞭になった。 「ま……真県さんっ降りてっ」  慌てて僕が身を捩ると、真県さんは意外にもすんなりと退いた。 「あなた、誰なの?」 「悪かった。ずっと空腹で仕方がなかったんだ」  奏の質問を無視して、真県さんは僕に意味不明な謝罪をした。 「邪魔が入った。説明はまた明日する」  そう言い残して、真県さんは教室から立ち去った。 「っ蒼汰!」  奏ははっとして僕に駆け寄る。 「あっ……」  僕は急いで目元の水を拭って、未だ多幸感で震える体を起き上がらせた。 「大丈夫? 何されたの?」  奏は心配そうに僕の体を支えた。 「いや……大丈夫」  言えるはずもない。逆に奏にはどう見えていたのだろうか。 「でも、目がそんなに赤く……」 「こ、これはゴミが……」  僕は目を擦る仕草をしたけれど、それでどこまで誤魔化せているかは、奏の顔を見れば一目瞭然だった。 「あの子、まさか転入生? 先生に言った方が——」 「本当……平気だから」  僕は奏の腕をすり抜けて立ち上がり、そのまま教室を出た。 「待って、蒼汰!」  追ってきた奏が、教室で何があったのかと問い詰める。別に何もないと御座成りに返していると、彼女はやがて何も訊かなくなった。  そうしている内にどうにか興奮の余韻は覚めたけれど、眼球を舐められる官能的な刺激だけは、家に着いた後もずっと忘れられなかった。
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