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第12話 市ヶ谷御門の人斬り
市ヶ谷三番町に住む豪商・古屋佐久右衛門の家に出向いていた勇が試衛館に帰ってきたのは、申の刻(午後四時)。試衛館に通う門弟で、佐久右衛門の次男・真之介の求めに応じての外出であった。
試衛館の門前で帰ってきた勇を出迎えた門弟によれば、勇の表情は険しかったという。
「出先で食べ過ぎたかな」
総司はそういうと、棒手振りから買ったという串団子を囓った。
「お前じゃあるまいし」
歳三は小刀で足の爪を削りながら答えたが、気にはなっていた。ちいさな宴席にはちょくちょく呼ばれる勇だが、険しい表情で帰ってきたという話は聞いたことがなかったからである。
夕餉の時でも、勇は小さな皺を眉間に刻んでいた。いつもなら原田ら食客たちの笑い話に混ざっては飯を二杯も食う男が、この日は飯を半分残して椀を膳に置いた。
(なんかあったな……)
勇の姿を左横斜めの視界に捉え、歳三はこのあと勇の部屋を訪ねてみようと思った。
この日の夜は月に霞がかかり、湿った風が吹いていた。
障子の隙間から忍び込んできた風によって、行灯の明かりが揺らぐ。
歳三が勇の部屋に入って暫くして、勇が話を始めた。
「また、人斬りが出たそうだ」
昨今のこの江戸では、人が斬られたという話は珍しくはない。勇は宴席に行くと最近の流行り物や食い物の話を拾ってくる男だが、今回は人斬りの話を拾ってきたようである。
「今度はだれがやられたんだ?」
「佐久右衛門どのだ」
「古屋の隠居――か?」
勇は「そうだ」と答えた。
古屋佐久右衛門の店は市ヶ谷三番町で幕府・諸藩の公金出納を扱う掛屋を商っている。下手人の狙いは察するところ、金だろう。幸い佐久右衛門は軽傷で済み、金も盗られずにすんだそうだが。
「市ヶ《が》谷御門?」
今回の人斬りが襲った場所を聞いて、さすがの歳三も驚いた。
「公方様がいらっしゃる江戸城の門前ではなかったが、やつは幕府に挑んできた。許せねぇと思うのは当然じゃねぇか。トシ」
勇はそういって憤慨する。
市ヶ谷御門は寛永十三年に、美作国・津山藩主の森長継が築いた門で、佐久右衛門が襲われたのは、その市ヶ谷御門から外堀に架かる市ヶ谷橋だという。問題なのはその近くに、徳川御三家・尾張徳川家上屋敷があったことだ。
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