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「近藤さん、いるかい?」
歳三が勇の部屋の前で声をかけると「トシか? 入れ」という声が帰ってきた。
障子を開けると火鉢の前で褞袍にくるまった勇が「よぉ」と言った。おそらく総司が言った『火鉢の前を陣取っているのは人間のほう』とは、この勇の姿のことだろう。
歳は勇の方が一つ上、がっしりとした体躯に、岩に目と鼻と口がついたような顔には伸びかけた髭がある。岩と表現したのは、勇の顔を岩に目と鼻と言った総司の言葉を思い出したからだ。
「あ? どうかしたか?」
まさか本人を前にして、あんたの顔が一瞬、岩に見えたとはいえず歳三は咳払いでごまかした。
「……あんたが、そんなに寒がりだとは知らなかったよ」
「今年はよく冷えやがる。昨夜など天井から露が頭に落ちてきてな。これが冷てぇのなんのって」
(そりゃあそうだろうよ)
勇は現在は試衛館次期四代目の座に座っているが、元は歳三と同じく農村の出である。故に二人っきりになると、口調が同じになる。それは構わないのだがこの男、少々呑気すぎた。
「あんた、本気でここを継ぐつもりはあるのか?」
「義父どのと同じことをいうなよ」
勇は困ったことになると、太い眉をぐっと寄せる癖がある。
どうやら養父・周介からもうるさく言われているらしい。
「言いたくなるさ。雨漏りするわ、床に穴が空くわ、壁は剥がれる。しまいには門弟が逃げ出す。なんとかしねぇと、吹きさらしの中で眠ることになるぜ」
「と言ってもなぁ。今の世、武士も算術が必要であってもだ、俺に算盤は無理だぞ?」
「そんな事はいってねぇよ。ただ、本当にここをなんとかしねぇと潰れるぜ?」
「そんなに火の車なのか? うちは」
呑気さもここまでくると、呆れるしかない。
「あのな、他人の俺が知っているくらいだぞ。大丈夫などと言っていると痛い目に遭うぞ」
「おどかすなよ。トシ」
「いい見本があるからなぁ。この方角に」
歳三は立ち上がって腕を組むと、襖を睨んだ。
「おいおい……」
勇が慌てる。それも無理はない。歳三が睨んだ方角には江戸城があるのだ。
徳川二百数十年、幕府の徹底した鎖国体制がその年数よりもあっさりと崩れ去ったのは、嘉永七年に異国船が江戸湾までやってきたことがきっかけだという。
これにより、各港が異国船に開かれたそうだ。つまりこの国は外からみれば丸裸状態。
巷では食い詰め浪人たちによる人斬りや、開国に踏み切った幕府に異を唱える者による異人襲撃が横行し、背後からばっさりとされてもおかしくはない世の中である。
歳三に、幕府を非難する気はない。確かに異国の言うがままとなると眉をひそめたくもなるが、自分は一介の下士に過ぎない。腰に刀をさし、士分と格上げされても、それだけである。
「俺たちはまだ、お互い目指した武士にはなれちゃいねぇのかもな」
形だけはなっても、生まれついての性分や出自は変えられない。この試衛館でさえ、他流道場からは芋道場、田舎剣法と罵倒されている。
多摩川を見下ろす土手の上で「ともに武士を目指そう」と、勇と手を取り合って数年――、果たして自分たちはこれから先、どのような武士像を描いていくのか。
「焦る必要はないさ」
勇は相変わらず楽天家だ。それに大のお人好しときている。たぶん、この男は変わらないだろう。それが彼の良さではあるが。
歳三は「そうだな」といって、障子を開けた。
曇天は相変わらずだったが、止んだはずの雪がちらちらと再び舞っていた。
「また降ってきやがった」
このぶんでは、また積もるかも知れない。
「今宵は雪見酒と洒落こむとするか? トシ」
箱火鉢では、燗徳利が浸けられ湯気を上らせている。
勇の誘いに、今夜ぐらいは彼の呑気さに、付き合ってもいいだろうと思う歳三であった。
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