第2話 嘘も方便

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「もうっ、耳が千切れたらどうしてくれるんですかぁ」   歳三は総司を自分の部屋に連れて行くと、両腕を組んだ。 「あれくらいの事で千切れたりしねぇよ。取れたら取れたらで、うちの石田散薬でもつけておけ」 「いったいどのくらいのことに、あの薬は効くんです? この間は、お腹を壊したと言っていた門弟にも勧めていたでしょう?」 「さぁな」  石田散薬は甲州街道三番目の宿場、日野は石田村の歳三の実家に代々伝わる家伝薬である。 「酷いですねぇ。いけませんよ? いくらここが貧乏だからって高く売りつけるのは」 「ンな事はしてねぇよ! 総司、お前今日どこにいた?」 「えっと……、朝稽古を終えて、朝餉を食べて、それから腹ごなしに道場の周りを一回り」 「随分な遠回りだな? 総司。神田の団子屋の前で、お前によーーーく似たやつを見かけたんだがな?」  それは歳三が神田の川に架かる橋を渡り終えたとき、橋の前にある団子屋の店先で、床几に腰を下ろしている総司を見つけた。 「なんだ。気づいていたんですか? あとをつけたわけじゃないですよ。目的は、たぶん土方さんと一緒です。例の――、人斬り話でしょう?」  そう言って総司はにっと笑う。 「近藤さんにはその話、していねぇだろうな?」 「していませんよ。名月庵まで出かけて行ったら土方さんを見かけたと、言っただけです。この間は、うぐいす餅を食べ損ないましたし」  歳三の思った通り、勇が「食うか?」と出したうぐいす餅は、総司が持ち込んだものだったようである。 「こっちはお前がうぐいす餅など言ったせいで筆が折れたんだぞ」 「あー、例のほー……」  そこまで言いかけた総司が、自分の口を手で押さえる。 「お前……まさかまた読んでねぇ~だろうなぁ? 豊玉発句集(あれ)を」 「嫌ですねぇ。そんなに信用できませんか?」 「アレに関しちゃ、信用できねぇな」 「土方さんが部屋にこもるときは考え事か、ご趣味のどちらかですからねぇ」  総司は勘がいい。打ち合っていても相手がどう出るか瞬時によむ。だがその勘が、いたずらに働くのはいかがなものか。ただそのいたずらは、歳三の豊玉発句集限定なのだが。 (豊玉発句集(あいつ)の隠し場所をまた変えねぇといけねぇな)  すると、井上源三郎に預けておいた三毛猫が入ってきて、総司の膝の上に乗った。 「若先生、俺も神田に行きたいとおっしゃってましたよ。若先生も、最近の人斬り騒ぎには憤慨していましたから。探りに行く、なんて行ったら……」  三毛猫を撫でながら総司が言った。 「俺も話に混ぜろ――と、いうだろうな」  ゆえに、歳三は勇には「松寿庵のそば屋があるのは東南」と告げた。実を言えば歳三も松寿庵が神田のどの方角にあるなど知らないのだが。  勇に真実が言えなかったのは、四代目襲名まで騒ぎに巻き込ませたくない思いからである。  二人が神田で人が斬られたと聞いたのは、今年の正月。そう、勇と三人でおみくじを引いた日のことである。
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