静寂と喧騒の中で

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 やかましい。  なんとかならんのだろうか。  田中一は怒っていた。  齢四十を迎え、新築で憧れのマイホームを購入したはいいものの、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い出社回数が激減。在宅ワークとかいうものが始まったが、出社しないのをよいことに部下たちは仕事をサボり、上司からは業績が悪化しているのはお前の監督不行き届きが原因だと詰られる。  これはいかんとやっきになって仕事に取り掛かろうとするが、近所の公園では幼稚園児たちがやいのやいのと騒ぎ立ててまったく仕事にならない。  子供の叫び声といったら騒がしいことこの上なく、田中に子供はなかったが、耳栓をしても脳の奥にまで到達するその声量に関しては世の父母というものはこのような音を毎日聞いて生活しているのかと尊敬の念を抱くほどであった。  その子供らが騒ぐ声も、一日に一時間程度であればまだ我慢できたものを、その公園の立地が良いのか遊具が充実しているのか、周辺の幼稚園から入れ代わり立ち代わり児童らを引き連れて保育士たちが押し寄せてくるだけでなく、聞いたこともない名前の幼稚園から何台ものバスに乗って子供らが来園。ときに先に遊具で遊んでいた幼稚園と縄張り争いが始まり保育士同士で髪の毛を引っ掴み合う喧嘩が始まる始末で、その騒音といったらジャンボジェット機の離陸音に匹敵するほどのものでないかと思われた。  ついに我慢の限界を迎え、田中はマイホームのすぐ向かいにある公園へと向かった。公園内で発されるあまりの声量から発生した風圧により、田中は何度も転びそうになりながら、なんとか公園にたどり着くと、田中は幼稚園の責任者と思われる年配の女性に声をかけた。 「私はこの公園の向かいの家に住んでいる者だけど、ちょっと子供の声がうるさくて仕事に集中できんので、もう少し静かにしてもらえんでしょうか」  最大限、配慮して声をかけたつもりであったが、声をかけられた女性はさも驚いたような様子で言った。 「あなた、コロナでたくさんのことを我慢してきた子供たちがこのように楽しそうに遊んでいるのに、遊ばせるなというんですか!?」 「いや、遊ぶにしてももう少し静かにしてもらわないと、こちらも仕事があるので」 「仕事仕事ってあなた、仕事と子供の命のどちらが大切なんですか?」  どうして子供の命が出てくるのだと思ったが、田中がなにも答えないでいるのを降参とみなした女性はふんと鼻を鳴らして去っていこうとした。 「ちょっと待ってください」  田中が女性の肩をつかむと、女性は田中のほうを振り返るやいなや「いやああああああ」とこれまた耳をつんざくような悲鳴を上げたかと思えば、周囲にいた保育士連中や子供らに対し、田中のことを子供たちが遊ぶ声を騒音だと主張する悪鬼のような男であり今しがた自分も乱暴狼藉を働かれかけたと主張。これを信じた周囲の者どもも同調し、「悪鬼から公園を死守せよ」とシュプレヒコールをあげまるで集団ヒステリーのような様相を呈してきたため田中は慌ててマイホームへ退散し、雨戸を下ろし会社に病休を取る旨を電話したうえで布団にくるまりがたがたと震えたのであった。  翌日、(外では相変わらず子供たちが騒いでいるものの)少しは気分が回復した田中は、「ちょっと出かけてくるよ」とワイフに言い残し、外に出かけていった。  このままでは会社の業績やら自身の会社での評価やら出世やらを考える前に気が狂ってしまう、そう考えた田中は地元の役場に陳情に向かったのだった。  役場には『こどもにこにこ課』という人を馬鹿にしたような部署があり、田中の陳情を聞いた人を馬鹿にしたような顔の職員が人を馬鹿にしたような口調で言った。 「子供が元気いっぱいなのはいいことですからもう少し寛容な心を持っていただけると助かるのですが――」  その言葉を聞いた田中は激怒し、対応した女性の首を引っ掴んでマイホームの前の公園まで連れてゆくと、わけのわからぬことを叫び倒す子供の口元に女性の耳元を押しつけ鼓膜を破壊。「これでもそのようなことが言えるのか!」と吐き捨てようかと思ったが、田中は図体が大きいわりに気が小さかったのでこれができなかった。  早く帰らぬかというように無言を貫くにこにこ課の職員の迫力に気圧され諦めて帰ろうとしたとき、田中の肩に手を置くものがあった。  その浅黒い手の持ち主に目を向けると、そこにいたのは中学生時代の旧友である市川だった。 「なにか困りごとか?」  市川は田中に白い歯を見せて言った。しばらく会っていなかったが、そういえばこの市川という男、数年前に町議会議員に当選したという話を人づてに聞いていた。  ダメでもともとで、田中はマイホーム前の公園の騒音のひどさを市川に話して聞かせた。 「町民の方が困っているのになぜすぐに動かないんだ……!」  話を聞いた市川は演技めいた口調で窓口に座っていた女性の方を睨みつけた。  驚いたことに先ほどまでその場にいた女性はすでに奥に引っ込んでおり、代わりに女性の上司かさらにその上司と思われる年配の男性がそこに座っていた。議員が来たから慌てて偉いやつが出てきたのだろうと田中は思った。 「いまこの町民の方から話を聞いたが、どういうことなんだ、お? この方が騒音によって精神を病んだらおたくの町はどう責任取るんだ」  市川は先ほどまでの態度と打って変わったガラの悪い声を出した。 「誠に申し訳ありません、早急に対応いたしますので」  こどもにこにこ課長を名乗った男は深々と頭を下げた。 「まったく、よろしく頼むよ」  市川は軽薄な感じでそう言い残すと、次の選挙は分かってるよな、と田中にウインクして去っていった。  翌日から早速、田中の家の大規模工事が始まった。  聞けば、田中の家の騒音はやはり離陸するジャンボジェット機のそばに立っているくらいの音量であり、常人であれば一日ともたず精神に変調を来しているだろう、ということであった。  かといって幼稚園側に公園で遊ばないよう指導すると、それはそれでそちら側に肩入れしている議員との間に面倒ごとが起きるということで、折衷案として田中のマイホームを巨大な防音ドームで覆うことになった。  このようなことになるとは思っていなかったが、市川から「どうせ新型コロナの感染拡大によって事業の大半が中止になり、数億円の予算が余っているのだ」と聞かされ、せっかくなら、ということで工事を受け入れたのだった。  工事には一カ月の期間を要しかなりの騒音を発したが、むしろ子供らの騒ぐ声がかき消されて田中には心地よいほどだった。ワイフは工事と子供たちの奏でる騒音のハーモニーに耐え切れず実家に帰って行ってしまった。  そのようにして田中のマイホームを覆う防音ドームが完成した。  完成翌日にドーム内の視察に訪れた議員の市川は静かすぎて気持ちが悪いと早々に退散してしまった。  それもそのはずであった。  このドーム、最新技術をふんだんに使用し、その特殊な形状をした外壁によりドーム外で発生する音という音すべてを吸収してしまうという優れものであり、雨音や動物の鳴き声はもちろんのこと、外でどれほど戸を叩こうと宇宙人が大音量で交信を試みようと周囲を絨毯爆撃されようとドーム内のマイホームには物音ひとつ届かないという代物だった。  また太陽光が遮られる代わりにドームの内側から時間に合わせた自然光を発し、さらに有事にはシェルターの役割も果たしてくれるという。  この日から、公園でどれほどの園児が騒ぎ立てても田中の耳には物音ひとつ届かなかった。さらに仕事に集中するためにドームに備え付けられていたインターホンも取り外した。  一度帰ってきたワイフは物音の全くしない家の方も気色悪く感じてまた実家に帰ってしまった。それでも田中は自分のため、遠くにいるワイフのため、ひとり在宅ワークに精を出し、次第に会社の業績も軌道に乗っていった。  田中は新しい生活に満足していた。    ※  ここで話は少し遡り、場面は変わる。  中東の大富豪であるマフムード氏は死に場所を探していた。  父親から譲り受けた油田の権利が保有しているだけで莫大な利益を生み続け、生まれてこの方何不自由なく暮らしていたマフムード氏だったが、ある日ふと、虚しさ感じたのだった。  子供のころから欲しいものはすべて与えられてきた。豪勢な食べ物も、絶世の美女も、百人以上の使用人を住まわせた宮殿も。  ただ、マフムード氏は思うのだった。自分の力で手にしたものがいったいどれほどあっただろう。自分はこの世に生を受けて、誰かの役に立ったことが果たしてあっただろうか。そしてこのまま何も作り出すことなく死んでいくのだろうか。  そう考えると、自分が生きていることに意味を見出せなくなった。  マフムード氏は必要最低限の金を持ち、誰にも見つからないように宮殿を抜け出した。  行く当てはなかったが、適当にチケットを買い、船や飛行機を乗り継ぐと、気が付けばニッポンとかいう名前の極東の島国に到着していた。  はじめて聞く国だったが、ニッポンはいいところだった。自然は多く、テラやジンジャという荘厳な雰囲気な建築物も気に入った。  死に場所はここにしよう――マフムード氏はそう決めた。  ただ、ひとつだけ気がかりなことがあった。  自分が遺すことになる莫大な財産だった。  マフムード氏に子はなかったが、個人的な資産を残すことによって、血みどろの争いを始めそうな親族に何人も心当たりがあった。  こうなったら誰かに譲り渡してしまおう――そのようなことを考えながらあてもなく歩き続け、マフムード氏は奇妙な建物を見つけた。  そこは一般的な一軒家のような区画だったが、なぜか大きなドームで覆われているのであった。  マフムード氏は興味を持った。どうせ自分の財産を譲るのであれば、このような変わった趣味嗜好を持つ者の方がふさわしい気がした。  インターホンがなかったのでマフムード氏はドームのドアを叩いた。何度も何度も。    ※  はたまた場面は変わり木星の衛星ガニメデからやってきた船団は地球を目指していた。  ガニメデの船団にはある目的があった。  地球を高度文明保有惑星と認め、宇宙連合に勧誘するためであった。というのは建前で、地球を植民地化してすべての人類を奴隷にするためであった。  ステルス機能を用いて地球に接近した船団は、先遣隊として一隻の小型宇宙船を送り出した。  偵察部隊から地球文明についての情報は届いていたが、データが古いうえに偵察部隊がふざけて牛に穴を開けたり地上に絵を描いたりしている記録ばかりでコミュニケーションを取った履歴が残されておらず、人類を奴隷化するにあたって実際に住まう人間の生の声を聞きたかった。  しかし、ガニメデからやってきたこのガニメデ星人、宇宙連合の中でも非常に好戦的でプライドが高く、来訪を歓迎されない場合、激しく激怒することで有名であり、特に居留守など使われようものなら惑星ごと粉々に砕くことをもいとわなかった。  先遣隊の小型宇宙船は成層圏上でしばらく迷ったのち、小さな島国に目を付けた。  人間の生の声を聞くには一般人の方がよいが、やはりある程度は位の高い人間であった方があとあと都合がよい。  日本上空を旋回していたところ、ガニメデ人たちは奇妙な建築物に目を付けた。  他の住宅は四角い箱のような形状をしているところ、一軒だけドーム状の銀色の球体に覆われていたのである。  これは他の家よりも位の高い市民が住んでいるに違いない、宇宙船はドーム上空に停滞し、ドームに向けて語りかけた。もちろん事前にこの星の言語は学習し、伝えるべきことは翻訳済みであった。 「地球の小国の民よ。我々の声を聞きなさい。名誉あることにあなたたちは宇宙連合への加入が許可されました。悪いことは言いません、我々のことを歓迎したのちにこの星に代表者に連絡し、宇宙連合加入申込書に押印なさい」  事前に地球の言語を学んでいたガニメデ星人たちであったが、偵察部隊の調査不足により人類の可聴音量を把握しておらず、常人なら鼓膜が一瞬で破壊されるほどの音圧で呼びかけた。  ドームの近隣にある住宅が振動しいくつかの家では窓ガラスが割れた。幸いにも早朝であり目の前の公園に幼児たちはいなかったが、もしいれば鼓膜が破壊され卒倒していたことだろう。  しかし、透過装置によって人間がいることは確実であるにも関わらず、ドーム型の建物から人が出てくる気配はなかった。  ガニメデ人たちはイライラし、やがてその建築物にビーム砲の照準を合わせた。    ※  三度場面は変わり日本近隣の某国のことである。  某国は追い詰められていた。  度重なる某国の軍事拡張にしびれを切らした欧米各国や近隣国が経済制裁を強化。これに伴い国民の反発も激しくなり各地でデモ行進やテロ行為が頻発し、経済状況は史上最悪となり国の幹部は次々と国外へ亡命。  これを好機とみた軍部がクーデターを起こし実権を握ることになったが、軍事政権が以前より一層進んだ独裁政治を展開するうえ実際の政権運営能力は皆無であったため、国際的にさらに孤立し首都めがけて民主化を求める国民も迫ってきていた。  もはや軍事政権にできることといえば最後の悪あがきとしてどこぞに爆撃機を飛ばすくらいであった。  軍事政権の総司令官は少し迷ったうえで、欧米諸国や民主化を求める国民でなく日本に爆撃機を飛ばすことに決めた。  かねてから本国に対して曖昧な態度を取り続けたうえ、本国が追い詰められ反撃が困難とみるや米国の強大な軍事力を盾に真っ先に輸入制限や入国制限を展開した卑怯で狡猾な狐のような国だった。  総司令官の指示のもと爆撃機が一斉に日本に向けて飛び立った。  自衛隊基地や首相官邸、国会議事堂などが爆撃地の候補に上がったが、軍事衛星により発見された比較的本国に近い立地にあるドーム状の建築物を目標とすることが決定された。  郊外であり都心ほど防衛力が高くないうえ、あらゆる音波を吸収する形状のその施設はAIの分析によると極秘軍事施設の可能性が高いということであった。  帰れる見込みのないミッションであったが、もはや失うもののない某国の軍人たちは特攻の覚悟を決めていた。  日本の領海に侵入したところで、海上自衛隊とアメリカ海軍の艦隊が待ち構えているのを発見した。  高性能の対空ミサイルにより次々と爆撃機が撃墜されていくが、ミサイルの嵐をかいくぐって数機の爆撃機が日本本土領空まで入り込んだ。  パイロットの目ははついにドーム型の建築物を捉えた。  建築物をロックオンし、爆弾を投下する。  残された爆撃機は数機のみであったが、辺りを火の海にするには十分な数であった。  レーダーに日本の自衛隊の戦闘機が接近してくるのが映った。もはやここまでだった。  パイロットは覚悟を決め、「某国万歳!」と叫ぶとそのドーム型の建物に爆撃機ごと突っ込んだ。    ※  田中は静けさの中にいた。  ドーム外から戸をどれほど叩こうと宇宙人が大音量で交信を試みようと周囲を絨毯爆撃されようとなんの音も聞こえないというのは本当だったようだ。 「ああなんて静かなんだ!」  田中は満足した表情で言った。  しかし、ドーム内のあまりの騒音によりその声を聞き取れるものは誰ひとりいなかった。  田中は先ほどからこの建物に起きている奇妙な出来事を思い返してみた。  まずごみ出しのためドームから出ると、必死にドアを叩いていた謎の中東人に呼び止められ、とりあえず家に招き入れて話を聞くと自分の財産のすべてを贈りたいという。  意味がよくわからないので断ろうとすると、今度は近隣住民がぞろぞろと家の中に入り込んできた。  聞けば、上空に円盤型の小型宇宙船が滞空しており、音圧兵器により家が破壊されたので一時的に避難させてほしいということであった。田中の家を覆うドームは近隣住民の間でも有名だった。  続いてやってきたのは宇宙人の存在など知らずに公園に遊びにやってきた幼稚園の子供たちと保育士だった。  聞けば、いつものように公園で子供たちを遊ばせようとしたところ、遠方から多数の爆撃機が近付いてきたため、目の前にあった丈夫そうなドームに逃げ込んできたのだという。  にわかには信じられなかったが、試しにドームの外に出てみると目の前に爆撃機が墜落してきたので慌ててドーム内に避難した。  ドームのおかげで愛するマイホームは無事であったが、子供たちは逃げ惑う中東人の髭を我先にと引っ張り合い、主婦たちはキッチンの前で宇宙人の目的について井戸端会議を始め、男たちは政府の対応の遅さへの批判をまくしたてており、ドーム内はこの世界で最も騒々しい場所と化していたのだった。  そのような中で、なおも仕事を続けようとする田中は、激しい騒音の中にわずかな静けさを探し、必死にそこに留まろうとした。 「ああなんて静かなんだ!」  まったく仕事が進まないパソコンの前で、田中はうつろな目をして言った。  突然の絨毯爆撃に恐怖し逃げていったガニメデ星人の船団がいたことや、命を絶たずに旅を続ける決意をした中東人から自分が譲り受ける資産の総額。そして時期を同じくして医師がワイフのお腹の中で見つけた、家や公園をもっと騒々しくさせるであろう存在のことは、騒々しさのさなかにいる田中には、まだ、知る由がなかった。  田中は静寂と喧騒の中にいた。  静寂と喧騒の中で、やかましいが子供の声というのはやはり可愛いと、まったく思わないでもなかったという。それはどのような家庭にもある、ごくありふれた静寂と喧騒だった。
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