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高宮さんの胸で泣きながら、今までに感じた恐怖を思い出していた。
私の両親は昔とても仲が悪かった。仲が悪いといっても毎日喧嘩をしている訳でも暴力をふるいあう訳でもない。ただ時折、大喧嘩をすることがあった。多少のギスギスした雰囲気はずっとあったが、大喧嘩をする時は激しく怒鳴り合いをして、侮辱するような言葉もよく使っていた。何かが溜まりに溜まっていた時に喧嘩をするのだろう。急にどちらかが怒り出して、軽い言い合いから始まり、怒鳴り合いになって、互いを無視して、何故かいつの間にか仲直りしていた。一度喧嘩が終わると一定期間は喧嘩しない。これが2人のいつもの喧嘩事情だった。
ただあの時は違っていた。母が急に怒り出して、父もつられて怒鳴り合いになった。何で怒っていたのかは覚えていない。幼い私はその時間が苦手で、胃が痛くなりながらも『あと数日で終わる』ことを願っていた。自分の部屋に逃げ込んで、布団の中で2人の怒鳴り合いが収まるのを待っていた。母の大きな声がした後、一度居間が静かになった。父が怒鳴り返さなかったのだろう。やっと口喧嘩が終わったのだと息を吐いた。
『きゃー』
女性の甲高い声が鳴り響いた。『いや』『やめて』とずっと叫んでいる声が母のものだと一瞬分からなかった。何かが向こうの部屋で起こっていることだけは分かっていた。母の声は鬼気迫っている。私は居間に行こうと部屋のドアに手をかけると、父の声が聞こえた。小さい声ではっきりとは聞き取れなかったが、何事かを詰め寄っているようだった。私は足がすくみ、手が震えた。
吐き気がするほどの動悸を感じていた。今、この部屋から出たら私は何を見るのだろう。母の叫び声は尋常ではなく、異様なことが起きていることが子どもながらに思った。父が母を刺そうとしているイメージが流れて、家族が壊れていく気がした。怖くて悲しくて、母を助けに行く勇気のないことが情けなくて涙が溢れていた。
次の日、2人はぎこちない世間話をしていて、またしばらくすると日常に戻っていた。今ではギスギスした雰囲気はなく、よく2人で遊びに行っているほど仲良し夫婦になっている。それでも私はその日のことを忘れたことはなかった。たとえ、親戚から『2人はおしどり夫婦だね』と褒められていても私の心は晴れることはなかった。
その日から、私は誰かの怒鳴り声や不機嫌さ、異様な静寂に恐怖心を抱くようになった。それらに少しでも関わると手が震えて動悸がして平常心ではいられないのだ。そして家族が日常の幸せが壊れていないかに怯えていた。
もしかするとあの日起きたことは他の家族でもよくあることなのかもしれない。そう思いながらも友人に話すことはできなかった。
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