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味がしない。紅茶を一口目飲んだ時に感じた芳醇な香りや味はもう感じられなかった。紅茶が悪いわけではない。全ては目の前の男が何故か私をじっと見てくるせいだった。従姉とのお見合いが変更したことへの申し訳なさも居心地の悪さを増していた。
会話をすることはなかった。互いに飲み物を飲むだけだ。なのに、彼はこちらを眺めている。一般的に美男と言われそうな人に見られてると思うなんて、自意識過剰だと言われれば終わりだが、目を挙げると鋭い目と合うのは気のせいではないだろう。一挙手一投足を監視されている気分で、うまくお茶を飲むこともできない。
喉が引っかかって飲み込み辛い。沈黙がつらくても話そうとすると声が出ないので、カップを口に持ってくることしか出来なかった。
最後の一滴を口にする。これ以上は居られないと思い、空気を呑み込み、必死で声を出した。
「あの……今日はこれでお開きに……しませんか?」
声も手も、おそらく目も震えながら出した声は小さかった。彼からの返事はない。聞こえていないのだろうか。私は手を握りしめて、もう一度声を出す為に口を開けた。
「何も食べないのか?」
「え?」
急に尋ねられて聞き返してしまった。しかし彼は気に留めていないのか、表情は何も変わらず怖いままだ。彼は手を挙げ、店員を呼ぶ。先程の女性店員がテーブルまで寄ってきた。もう1人の店員が身を引きながら彼女に「行ってきて」と頼んでいたように見えた。
「お伺いします」
彼女は明らかに不審な2人に明るい笑顔で接する。
「追加の注文を」
そこで彼は私に目をやった。
「え、チーズケーキを……」
「ではチーズケーキ1つをお願いします」
「かしこまりました」
急にふられてドギマギしながら答えた私の注文が通り、彼女は去った。せめてメニューを見せてくれと思いながらも、チーズケーキが届き、彼の前で1人食べることを思い浮かべると気が重くなる。お見合いを終了させるタイミングを失ってしまった。もはやこれをお見合いと認めたくない。
「お待たせ致しました。チーズケーキでございます」
同じ店員がチーズケーキを持ってきてくれた。タルト生地のシンプルなベイクドチーズケーキだ。ベリーのソースで飾られていて、とても魅力的に仕上がっている。
大きめのフォークを持ち、角の部分に差し込む。タルト生地は硬くはなく、一緒に掬い上げることができた。微かに自分の手が震えていることに苦笑しながら、口に含んだ。
ほのかに甘さを感じながらも、視線が気になり、美味しいと思う余裕はなく、何度か噛んで飲み込もうとするが喉が通らなかった。まるで薬を飲み込むかのように、紅茶で飲み下す。喉を通ったケーキの重みを胃に感じ取った。とても良くないものを食べたように、胃が受け付けていないのが分かる。
「美味しいですか?」
口調は丁寧だが、低い声に身構えてしまった。即座に返事が出来ず私は実際は美味さを感じきれていないにもかかわらず、問いに頷き、肯定する。だが彼からそれ以上の言葉はなかった。食レポでもすれば良かったのだろうか。
また、無言の時間が始まった。今回は私の咀嚼音とフォークの音が静寂の邪魔をしている気がした。その間も彼の視線は向けられ、餌付けされている犬か猫はこんなプレッシャーを受けているのかもしれないと頭に浮かんだ。
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