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「お見合の話があるんだけど」
「しない」
秒で答えた過去の私にどうしても伝えたいことがある。もっと頑なに断れ。
外観から素敵なカフェだった。おしゃれなラティスに観葉植物が飾られており、小さな黒板に本日のおすすめが書かれている。今日のおすすめは『ラザニア ナスとトマトのパスタ チーズケーキ』らしい。店内は落ち着いた茶色で統一されていた。ランチタイムが過ぎているので食事をしている人は少ないが、数人がティータイムを楽しんでいる。木とコーヒーの香りが漂い、ほんの少しだけ緊張が緩んだ。
私は予約されていた席に座り、人生初のお見合い相手を待つ。案内された席は相手が予約しており、他の席から少し離れていて静かだが、日当たりがよく暗い印象はなかった。
「ご注文はいかが致しましょう?」
「……もう1人が来てからお願いします」
お見合いのルールは分からないが、一緒に注文した方が良いのではないだろうか。来る前や途中の電車でもっと調べておけば良かった。
仕方がない。急に予定が入れられたのだから。元々従姉にきていたお見合い話が何故か私へと回ってきた。相手方は明るく社交的な従姉を指定していたにもかかわらず、彼女が違う予定が入ったことで私に代わりを言い渡された。彼女が断る理由も納得のいくものではなかった。「予定があるから」では予定がない時に変更すするか、彼女が行くことができないのならばお見合い自体を断ればいいのにと思いながらも話を聞いていた。「代わりは先方も不快に思う」と何度も言ったが、どうしてもと押し切られ母も私も断り切れることが出来なかった。
そういえば相手のことを何も聞かなかったな……。従姉のお見合いを代わりに行ってくれと叔母たちに言われただけで、これから会う人のことを教えてもらっていなかった。先方も断ってくれたら良いのに。その思った時、カフェの扉に付いたベルが鳴った。
入口に目を向けるとスーツの男が立っていた。黒髪で浅黒い肌、鼻筋が通り整った顔をしているが、上背があるためか威圧感がある。立っている姿はスマートだが、鋭い目はカフェにくるような雰囲気ではない。彼は店員と少し話した後、私のテーブルのそばに来て向かい側に座った。
「お待たせしました」
スーツは体に合っていて、高価そうな時計をつけている。
「あの……お見合いの方ですか?」
そうでなければここに座っていない筈なのに、恐る恐る私は尋ねた。彼は一度だけ頷いたが、私と目を合わせることはなかった。
カフェの店員がメニューを持ってきた。白いシャツに黒いエプロン、カフェの制服が似合う清楚で笑顔が素敵な人だ。重苦しい雰囲気にもかかわらず、来てくれた彼女に心の中で感謝を告げる。
「コーヒーを」
「あ、私はダージリンをお願いします」
メニューを見ずに頼む彼に置いていかれないよう、注文を通す。
「かしこまりました」
彼女はすぐに奥へと向かう。目の前の彼と2人になってしまった。
「はじめまして」
「……」
仕事で身につけた愛想笑いを最大限使用するが、彼には通じなかった。
「じ、自己紹介を」
「プロフィールを拝見したので結構です」
「従姉が来られなくなってしまって……」
「知ってます」
自己紹介も詫びも全て遮られてしまった。あなたは知ってても私はあなたのことを知りませんと伝えたかったが、不機嫌なオーラを出す彼と話す勇気が出なかった。私のプロフィールはいつ彼に届いたのだろう。もしかすると私の分はなく、ただ予定があったから彼はここに来ただけなのかもしれない。目当ての女性が居ないのなら来なければいい。つい出そうになるため息を呑み込んだ。
2人で何も話さず静かに席についている。目すら合っておらず、かといってスマホを触っているわけでもない。周囲はその異様な光景に興味を持ったのか、チラチラと視線を感じた。
「ご足労いただいてありがとうございます」
沈黙に耐えきれず、私の口は動き出した。
「どんな仕事をされているんですか?」
出来れば名前から訊きたいが、彼は私がプロフィールを見たと思っているだろう。彼は整った眉を顰め、一重の目を更に鋭くする。
「書類に書いてある通りです」
どこかの漫画であれば「馬鹿か」と語尾に付きそうな、酷く見下した目で見られた。心臓が掴まれたかのように苦しくなり、背中に汗が通る。静寂がまたこのテーブルに流れた。私の呼吸音すらうるさく感じて、息もしづらい。せめてカフェの中心にいれば、雑音が気を紛らわせてくれていただろうに、端に席の為、気の逃げ場が全くなかった。ひどい緊張感で喉が渇く。早く紅茶、届いて!店員さん助けて!
私の声を聞いたのか、先程の女性がカップを2つ持ってやってきた。
「コーヒーとダージリンティです」
彼女はコーヒーを彼の前に、ティーカップとポットを私の前に置いた。カップに紅茶を注ぐと、ふわっと香りがふくらみ、ほんの少し私の心を癒した。これを飲み終わったら絶対すぐ帰る。そう決意し、紅茶を口に含むと香りが鼻を抜ける。美味しい。私は今日初めて口元が綻んだ。たとえこの時間が辛くても紅茶に罪はない。よく味わって飲もう。そんな少しの余裕はすぐに消えた。
彼の眉間に激しく皺が寄っている。ただでさえ鋭い目の圧が強くなり、とても人相が悪い。怖い。何が不快にさせてしまったのか、検討もつかず、私は息が詰まり、目を伏せながらもう一口紅茶を飲んだ。
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