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聞いていた通り、その従業員の家の中には誰も居なかった。ドアには鍵がかかっておらず無用心に開いていたので、樹は申し訳ないがお邪魔させてもらうことにした。
九龍によくある小さな四角い部屋。福の字を逆さまにした飾り、鉄製のベッドに薄いマット、バルコニーについた鳥籠のような格子。
荷物や生活感があるので家出という感じはしない。
争ったような跡もないし、鍵も壊されてはいない…出る時にただ締め忘れただけに見える。慌てていたのだろうか?
机には手の平サイズのお菓子の空き箱がたくさん。可愛らしいパッケージだが…樹はそれを手に取り、目を凝らした。
見覚えがある。中を見るとラムネが残っていた。
いや───ラムネに見せかけた、ドラッグが残っていた。
キッチンのゴミ箱にはアルミホイル。少し燃やした形跡がある。薬を炙った跡だ。
「だから東か…」
樹はアルミホイルを見下ろしながら呟く。
この従業員はドラッグ中毒だ。そして多分、猫は薄々それに気付いていた。普段の挙動に加えて飼い猫が居なくなった時の様子があまりにも不自然だったのだろう。
なので薬屋の東に話を振った。猫は基本的にドライだが一度懐に入れた人間はあまり見捨てない。東は薬物に精通しているので、この従業員が困っているのなら何かしら助けになればと思っての事だ。
このラムネのパッケージは以前【東風】で見たことがある。だけど東の扱っている薬じゃない。
九龍では違法薬物の取引は横行していて、質の悪い安いドラッグも山ほど出回っている。
安い物は、よく売れる。大勢の売人がそれで稼いでいる。だが他より質が悪いということは、身体への影響も他より悪いということ。
摂取しはじめてから依存して常用するようになり、それから廃人になってしまうまでが短い。
くわえて死亡率も高いのだ。
そうなると、売人は常に客の新規開拓をしなければならなくなる。東はそれを嫌った。
どんな性格か?口は堅いか?金払いはいいか?
様々な事を見極めなければ回り回って自分にツケがくる。
数より質。九龍には掃いて捨てるほどの人間がいるが、それに甘えて客をとっかえひっかえするよりも少ない上客と長く付き合う方が身の為なのである。
「巷で流行ってるつって流れてきたんだけど、俺は高品質がウリだからこれは駄目だな」
とかなんとか、この箱をつつきながら東が言ってた気がする。
ふいに窓の外で鳴き声がして、樹が格子を開けると太った猫がスルリと入ってきた。
写真の猫だ。
猫はしばらく部屋をウロウロすると、ラムネ──と見せかけたドラッグ──の空き箱をハムッ!と口にくわえてまた窓から出て行った。
樹も同じように窓枠を乗り越え、後を追いかける。
細い鉄骨の上を通り、狭い路地を通り、九龍の街をすり抜け、しばらく行くと密集した建物のベランダのひとつにたどり着いた。
横の窓が開いていて猫が入っていく。樹もまた同じようにそこから中へ入り────
死体を見付けた。
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