エピローグ

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エピローグ

 文明八年(一四七六)、二月。遠江の塩買坂(菊川市高橋)は雨だった。  急勾配で細い山道は、軍列の通行には窮屈であり、それ故か、陰鬱な気分が増す。  長く降る雨に思えず、行軍を命じていた今川義忠は気持ちが沈んでいた。  後ろには、同行させた飯尾長連の一隊がいる。  行軍、目標はここから北方の横地、勝間田氏の居城である。東から迂回し、これを潰し、義忠は妻子の待つ駿河の今川館に帰還するつもりでいた。既に城主の横地四郎兵衛、勝間田修理亮は討ち取られていた。   残党狩りである。  「…」   冷たい雨が義忠の顎髭を濡らす。小降りながら、雨足は止まない。総髪を後ろに束ね、馬に揺れる義忠は顔をしかめた。  (…嫌な雨よ)と邪険に思える。この雨に妙な陰りを感じるのだ。  これより、五十数年後、まだ見ぬ彼の孫が同じような雨の日、尾張で討ち取られるとは思っていない。雨は、今川家にとって凶事の兆しだった。  (…新九郎は、まだ来ぬか)  義忠は数年前から顔を見せなくなった、義弟で、幕府申次役の伊勢新九郎の事を思い出していた。  そして、彼が以前言い放った「どこまで自念(自己)というものがありましょうや…」という言葉を思い出していた。  そして顎髭を撫でつつ、ここまでの今川家と遠江との関わりを思い返していた。  事の始まりは、この時からもう百数十年前になる。
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