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寿の頭の中に、『引退』の文字が浮かんでは、すぐに霞んで消えた。
あり得ない考えだ。
粋といたいから、モデルを引退するなんて、安直すぎる。今までのキャリアをふいにしてもいいと思っているなんて、あまりにも浅はかだ。
まだ、芙季への恩返しは十分ではない。
寿だって、まだまだ続けたい。初めてのオートクチュールのショーを成功させて、もっと違う舞台へと挑戦し続けたいと心底思っている。
でも、そうすると粋に会えなくなる。
粋に愛される喜びを心も体も知ってしまった。
粋のいないところで、本当にやっていけるのか。
寿は、弱くて不快で格好悪い考えを急いで打ち消した。
打ち消しても、また浮かぶ。
グリーンスムージーを半分飲んで、テレビを付けた。ちょうどスポーツニュースをやっていて、サッカーのところで、ユナイテッドが映った。
粋だ。真面目な顔で練習をする粋の顔がアップになった。内容は、海外移籍への決断とかそんな感じのようだ。スピーカーから、粋の声が流れた。
『五年間お世話になったチームと優勝を経験してから、移籍しようと思っていました。だから、レオネンには冬まで待ってもらいました。でも、お陰で、優勝に王手を掛けました。最後まで諦めずに、今はユナイテッドのために戦いたいと思います』
こういうインタビューを受けたら、絶対に教えてほしい。どんな粋も見逃したくない。
一生懸命話す粋は、瞬きすら惜しいほど格好良かった。録画していないことが悔やまれた。
粋は、いつ、ベルギーへ発つのだろう。
画面の粋を観ていたら、すごく遠くの存在に思えた。
明日も会いたい。あさっても会いたい。会えるだろうか。
LINEを開いて、すぐに閉じた。
その夜は、なかなか寝付けなかった。
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