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柴咲記念病院は消毒液の匂いがしないから病院感がなくていいな、と来るたびに思う。
桜が咲くにはまだ寒い二月。日曜日の今日は見舞いが多く、私服姿の健康そうな人達が病棟を歩いている。
六階西病棟の個室。ノックをしてドアを開けると、直樹はすでに出かける支度を終えていた。
「あ、夏菜子やっと来た。もー、遅せぇよ」
「え、うそ、約束の五分前じゃん。むしろ早くない?」
「十分前行動が当たり前だったろ。五分前はもう遅刻だ遅刻」
ニット帽を被りマスクを着けた直樹は、腕も足も触れただけでボロボロと砕けそうなほど細いが、口だけは達者だ。そこだけは病気になる前と変わらない。
「夏菜子ちゃん。直樹のワガママに付き合ってくれてありがとね」
ベッドサイドに立っていた直樹ママが申し訳なさそうに頭を下げた。直樹ママは私のママと同い年だが、やつれてしまって実年齢より老けて見える。苦労していることが雰囲気から伝わってきて、私は明るく答えた。
「全然! 私も昔は直樹にワガママ聞いてもらったんで、これくらいどうってことないです」
「そうだな。お前のワガママには本当に苦労したしな」
背だけは縮まない直樹は私を見下ろしてきた。最近はベッドに横たわっている姿しか見ていなかったので、立っている直樹に胸が締め付けられる。このまま病気が完治して、恐怖から解放されればいいのにと強く願ってしまう。
「よし、じゃあ行くか」
割としっかりとした足取りで病室を出る直樹。「待って待って」と私は後を追った。
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