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窓を濡らす音で目が覚めた。
カーテンを開け、曇天を仰ぎ見る。
予報通り、昨日から降り出した雨は一向に止む気配がない。月曜日ということもあり、天気にも多少影響を受けてか、少しブルーな1日の始まり。
しかし毎朝会う幼馴染みとの通学時間を楽しむべく、いつものように身支度を整え、冷雨の中、俺は高校へと歩みを進める。
「せっかくのバレンタインなのに、雨だと渡しにくいよね~」
「そうだよね。登下校の道で渡すとか濡れちゃうし」
「かと言って、教室や廊下で渡すのもねぇ」
「わー、そんなのムリムリムリ! 皆の前で告白とか、マジ無理ー」
前を行く女子の会話に、今日という日のイベントを思い出した。
俺には好きな人がいる。
同い年の幼馴染み、奈由とは子供の頃からずっと一緒で、高校生になった今でも待ち合わせてふたりで通学している。
彼女は明るく爽やかだからか、男子からも女子からも好かれていて――
「おはよ」
不意に後ろから聞こえた嬉しい声音に、振り返る。
「おう。おはよ」
見ると今日はひとつ荷物が多い。
ふうとため息をついた。
「やだ大志。朝からため息なんて、気分が下がるからやめてー」
冗談交じりの声。
今日はバレンタインデーだ。その紙袋にはきっといつも話している憧れの先輩に渡すチョコレートが入っているのだろう。
「ため息じゃねぇし」
こころに重石が張り付いたように苦しくなる。
「だって、ふぅーとか言ってたよ」
だけどそんなことは彼女の知らぬこと。
少しイタズラっぽく俺を見上げる彼女に、とぼけたことを言う。
「それは深呼吸!」
「やだ、ムキになっちゃって」
そう言って笑う彼女の笑顔が眩しい。
「ムキになんてなってねーよ」
お互い笑い合って、またいつも通りたわいない話で過ごす学校への15分間。
その時間も終わろうとしたときに、今日のイベントの話題になる。
平気な顔をして、俺は気になっていることを口にした。
「先輩にチョコ渡すの?」
答えは知っているというのに。
「渡すよー」
確かめてみるなんて。
「そっか」
告白もしてないのにフラれた。そんな気分。
「大志もたくさん貰うんだろうね~」
「まさか」
ハハハと笑い、否定した。
校門を入ったところで俺は言う。
「好きならちゃんと告白しろよ」
「うん」
気のない返事に後押しをする。
「今日はバレンタインなんだから、いい機会だ」
なに言ってんだ、俺。
自分のこころを押し隠し、好きな人の恋の応援をするなんて。
☆ ☆ ☆
放課後、窓の向こうには雲の隙間から太陽が顔をのぞかせている。いくつか貰ったチョコをカバンに押し込み教室を後にする。
きっと友チョコだろうと思われるものには、来月のホワイトデーにお返しをしなきゃな。
告白とともに渡されたチョコは、相手がどうしてもと言うので受け取りはしたけれど、気持ちには答えられないとちゃんと伝えた。
俺には好きな人がいる。
たとえ叶わぬ恋だとしても、友人としてでも傍にいられるだけでいい。
特にキャンセルはなかったので、俺はいつものように校門で奈由を待っている。
先輩にチョコを渡して、上手くいけばそのまま奈由は先輩と帰るのかもしれない。
だけど、もし上手くいかなければ……。
傷ついた彼女の支えに、俺はなりたい。
「お待たせー」
大きく手を振りながら漆黒のロングヘアを靡かせ、小走りで奈由がやって来た。
「おう」
俺は軽く手を上げて答える。
少し緊張しているように、ぎこちなく笑う彼女。
その様子を見て、俺も少し不自然な笑顔で言う。
「チョコ渡したか?」
「うん。ううん」
「どっちだ?」
奈由は何も言わない。
「先輩にチョコ、渡したんだろ?」
「うん」
「で、返事は?」
「返事って?」
「告白の返事だよ」
「告白はしてないよ」
「でも、バレンタインにチョコ渡したんだろ?」
「友チョコは渡したけど、本命は渡せてない」
その言葉を聞いて、さっきの肯定と否定の返事の意味が解った。
俺は「来い」と奈由の手を掴んで校舎の方へ歩き出す。
「ちょっと待って」と奈由は俺の手をほどく。
俺は「どうした?」と彼女に聞いた。
「どこに行くの?」
先輩のところだと言うと、彼女は拒否した。
何のために先輩のところに行くのか聞かれて、俺は「男なら今日チョコを貰う意味、解るだろ。ちゃんと返事を聞かなきゃ」と答える。
「行かない」
奈由は大きく首を横に振って、そう言う。
彼女の嫌がることはしたくない。俺は「解った」と息を吐いた。
それから俺たちは気まずいムードの中、家への道を歩き出す。
隣にいられるだけでこころが踊っていたのに、今は歩き方も忘れてしまいそうなほど、胸が苦しい。
沈黙の時間がどのくらい続いただろうか。
俺はふうとため息をついた。
「やだ大志。ため息なんて、気分が下がるからやめてー」
冗談交じりの声。今朝と同じ言葉。
「ため息じゃねぇし」
こころに重石が張り付いたように苦しくなる。
「だって、ふぅーとか言ってたよ」
そんなことは彼女の知らぬこと。
少しイタズラっぽく俺を見上げる彼女に、今朝と同じようにとぼけたことを言う。
「それは深呼吸!」
「やだ、ムキになっちゃって」
そう言って笑う彼女の笑顔が眩しい。
「ムキになんてなってねーよ」
笑いながら、そう返した。
だけど。
「先輩のこと好きなんだろ?」
「うん。好き」
「じゃあ」
俺はそう言って彼女の手を取って歩き出した。
どこに行くのかと尋ねられ、先輩にちゃんと告白するべきだと伝えるも、彼女は首を縦に振らない。
「後で後悔するぞ」
少々お節介かもしれないけれど、先輩の奈由に対する態度を見ていて、奈由に想いを寄せていることに気づいていたから。
「しないもん」
だけどかたくなに拒絶する彼女。
「先輩のこと好きなんだろ!」
俺は少し強めに促した。
だって、両片想いだって知ってるから。
すると奈由はしばらく俺の目をじっと見つめた後、涼やかに笑んだ。
「同じ好きでも、憧れと恋は違うの」
憧れは虹のようなもの。
儚くて決して届かない。
恋は綿飴のようなもの。
甘くてふわふわしてる。
以前奈由が言っていた言葉を思い出した。
「確かに違うね」
「先輩は憧れの人。だから友チョコを渡したの」
「そっか」
「だからこれ」
彼女の差し出した手には、チョコレートと思われる包みが。
俺は笑顔とともに、大喜びで――少し大げさにチョコを受け取った。
いくら友チョコでも、奈由から貰えるのは嬉しいし、いつも通りのふたりでいたかったから。
そう。幼馴染みで仲の良い友人。
夜更け過ぎと言っていた予報が早まったようだ。
ふわりとした白が空から舞い降りてきた。
「憧れじゃないから」
風花が舞う中、俺と彼女の周りだけ、時間が止まったように感じる。
『同じ好きでも、憧れと恋は違うの』
さっきの彼女の言葉が頭を過る。
憧れは虹のようなもの
儚くて決して届かない
恋は綿飴のようなもの
甘くてふわふわしてる
時に切なくもあるけど
幸せな気分にしてくれる
奈由の言葉をはっきり想い出した。
「俺も。憧れじゃないよ」
はにかんだ彼女の頬を冬の太陽が照らしている。
まだ上空まで到達していない雪雲は、間もなく予報通り綿飴を降らせるだろう。
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