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1.桜澤奏多はしゃべらない
都会の一等地にある私立・藤ヶ丘高等学校の朝は送迎ラッシュで始まる。
片側三車線の国道から一本入った道に面しているのだが、敷地を囲むブロック塀の前に次から次へと車が停まる。降りてくるのは藤ヶ丘の生徒だ。ドライバーは各家庭の親御さんなのだろうが、中にはわざわざ一度降りて外からドアを開ける使用人らしき姿もあった。車は慌ただしく去り、空いたスペースにはほどなく次がやって来る。朝日を受ける車はどれもこれもよく光っていて見応えがあった。
最寄り駅から歩いてきた森田彰は、やってるやってる、と思いつつデザインの凝った鉄の校門をくぐった。
どこか古い洋館をイメージさせる薄茶色の校舎へは滑らかな石畳の道が続く。ポンポンと植わるイチョウには緑の葉が茂り、その逆サイドには無人の校庭が広がっていた。ようやく夏が終わろうという青空が爽やかだ。
自分と同じ黒いブレザーや白いシャツ姿の、パンパンのリュックを背負っている生徒の群れの中で、彰は少しだけ顔をしかめた。人が多いせいでもあるが、主に急に降って湧いた呪い返し問題のせいだった。
呪いのプロで自称「癒しの呪術師」の母親と同じく、実は彰にも呪術の心得があった。だからあり得ない。人間の想念、特に恨みの恐ろしさを熟知している以上、軽々しく恨みを買うような愚かな真似なんて絶対しない。
それに、母親は「呪い」と言ったが、本当に大したことはしていなかった。「きんぴらの呪い」はもちろん嘘だし、害意とか悪意とかそういうものは何もない。ついでに面識もない。
(なのに、桜澤奏多が俺を恨んでる……? 意味が分からん。でも、他に男で心当たりなんてないし……)
いつの間にか高二の教室の近くまで来ていて、彰は表情筋から力を抜いた。土足のまま歩ける床はクリーム色をしている。白い壁の下の方はダークブラウンの板張り。壁には数メートルおきに曇りガラスの小窓があって、力強い明かりが廊下に差していた。
ちょっとだけ迷ってから、彰は自分の二年三組ではなく桜澤がいる一組のドアを開けた。
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