破られた平穏

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 王都の東にある地方に、ミストヴィルという街がある。  そこは水資源の豊かな地方であり、クリスティアラの水はこの地方にある湖を水源として供給されている。湖から少し離れたところにはいくつかの鉱山があり、水晶の八割はその鉱山から産出されている。  それらの鉱山に囲まれた街がミストヴィルであった。街の家々はいずれも石造りで、その上にパステルカラーの丸屋根が被さった光景は妖精の住む街のように可愛らしい。建物の間を縫うように運河が流れ、川縁では人々が木漏れ日を浴びながらのんびりと寝そべっている。石畳の通りには露店が軒を連ね、商人達の元気な声が飛び交っている。  豊かか自然に囲まれた美しい街並みの中で、人々は水晶の商いを生業として安穏な生活を享受していた。  だが、平和は長くは続かなかった。長閑さを打ち破るような怒声が突如として街中に響いたのだ。 「盗人だ! 捕まえてくれ!」  川縁で午睡を楽しんでいた人々ははっとして身体を起こすと、声のした方を振り返った。両手に大量の水晶を抱えた一人の若い男が、目の前を風のように駆け抜けていく。その後ろから、やすりを振り上げて走ってくる中年の男の姿が見える。黒いエプロンをつけている姿からすると店主のようだ。店で水晶を加工していたところ、商品をあの若者に奪われてしまったのだろう。店主は憤怒を浮かべて必死に若者の後を追っているものの、寄る年波には勝てないのか、早くもぜいぜいと息を切らしている。  人々は慌てて立ち上がり、通りに出て若者を捕まえようとしたが、若者は彼らを嘲笑うようにちょこまかと人々の手の間をすり抜けていく。次から次へと加勢が現れたが、若者はすばしっこく逃げ回りまるで捕まる気配がない。  やがて疲れが出始めたのか、人々は店主と同じように膝に手をついて息を上げ始めた。若者は人々の方をちらりと振り返ると、嘲弄的な笑みを浮かべて叫んだ。 「ちょろいもんだな! お前らみたいにお気楽な生活してる奴らは、盗人一人捕まえられねぇんだ!」  人々は忌々しそうに若者を睨みつけた。情けない話だが、若者の言葉は事実だった。平素から安逸を貪っているミストヴィルの人々は、有事に対応する術を持っていない。  若者は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、踵を返してその場から逃げそうとした。
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