売り物の愛は逃げたがり

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 見ず知らずの男に、惚れたふりをするのは気持ち悪かった。  見ず知らずの男に、身体を触れさせるのは気持ち悪かった。  見ず知らずの男に、身体を舐めさせるのは気持ち悪かった。  見ず知らずの男に、名前を呼ばれるのは気持ち悪かった。  見ず知らずの男を、舐めるのは気持ち悪かった。  けれど。  でも。  見ず知らずの男の金が、オウルの懐に入るのはもっと気持ち悪かった。  部屋の窓を薄く開いていると、ベルが鳴った。次の客が来店したようだ。  リオはそっとため息をつき、窓を閉めた。嘔吐した後の部屋は、念入りに換気しないとならない。胃液の酸っぱい匂いは、どう間違えてもいい気分のするものではない。すん、と鼻を鳴らして匂いを確認し、湯船に湯を溜め続ける蛇口を、きゅっと締める。床を手早く拭い、部屋の隅にぶら下がる札を軽く引く。ちりんちりん、と、か細い音がかすかに響きながら廊下を伝って行った。あとは、次の客の訪うのを待つだけだ。  オウルは、──きっと、いつも通りに商売を進めるのだろう。客を待合室から招き、リオを綺麗な言葉といやらしい言葉で褒め称え、売り(さば)き、ちょっと悪ぶった笑みを刻んで手で廊下を指し示す。  ああ、それなら。と、リオは思う。あの尊大で粗野な言葉と笑みの似合うあの人が商売人として働くなら。自分はきっちり、代金分働かなくてはならないな、と。自分と彼を繋ぐのは、契約書と紙幣だけなのだから、と。  電話のベルが鳴り、リオは受話器を見つめた。あと少し、あと少しだけでいい。オウルとの逢瀬の余韻に浸らせて欲しい。そう願うように。  無慈悲に鳴り続けるベルは、甘い時間の香りを微塵も漂わせない。リオは目を閉じた。深く息を吸う。ゆっくりと吐き出して、受話器に手をかけた。
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