赤いマフラーが大学入学共通テスト前に私の味方になってくれた

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4  東屋にある自販機で私はペットボトルのカフェオレと缶のブラックコーヒーを買った。勿論、どちらもホットのやつだ。彼女は缶のホットココアを選んだ。 「何で二つも買うんですか?」  不思議そうな顔をする女子高生に私は答える。 「まだ試験開始まで時間あるし、ちょっとだけ休んでいこうかと思いまして。貴方もそのつもりでしょう?」  私の言葉に彼女は少し驚いたような、複雑な表情を浮かべた。 「え? 何で、そう思うんですか?」 「だって、選んだのが缶のホットココアだったから。普通、試験会場に持っていく用の飲み物ってペットボトルでしょう。試験時間中以外だったら、好きなタイミングで飲めますし、容量的にも長持ちするし。缶だったら、一回開けちゃったら鞄とかに入れられないし、容量も少ないから。試験に持っていく用じゃないなって思って。だから、私もペットボトルと缶、二つ買ったんですけどね。缶はここで飲む用で。貴方もそうですよね。ペットボトルは買わなくても良いんですか? この後、試験なのに」  ペラペラと喋り、途端にどうでもいいことで喋り過ぎてしまったと気づく。 「……すみません。私の癖なんです。どうでもいいことで、あれこれ考えちゃって。余計なお世話ですよね。本当にすみません」  私は頭を下げる。だが、彼女は声を上げて笑った。 「本当に面白いですね、貴方。色々なことを深く考えているんですね。凄いなぁ」  そして、ひとしきり笑った後に暗い表情を見せて俯いた。少し寂しそうな、そんな思いを抱えているかのように……。そして、大きな溜息を吐いた。 「あぁ、やっぱり、。大学って……」  その言葉に私は少し違和感を覚えた。  彼女はベンチの右側に腰を下ろす。そして、空いている左側を片手でポンと叩いた。 「隣、座ってください。少しで良いので、私の話を聞いてくれませんか?」  私は缶コーヒーの、彼女はホットココアの缶のプルトップを開ける。プシュという空気の抜けた音と同時に、コーヒーとココアの香りが漂った。一口飲んで、喉の奥に流し込む。冷えた体に熱いコーヒーが染み込むようだ。暖まる。  彼女もココアを一口飲み、「美味しい」と呟いて微笑んだ。その笑顔は試験直前で張り詰めていた私の心を少し和らげてくれた。  彼女はふぅっと白い息を吐いて、口を開いた。 「さっき、貴方が色々と考えて話してくれたけど、ちょっと思い違いをしているかもしれないですね」 「思い違い?」 「えぇ、確かに私は貴方と同じ高校三年生ですが、今日の共通テストは受けません。というより、そもそもんです」 「えっ!?」  思わず声が出てしまった。確かに、彼女は一言も「今日のテストを受験する」とは言っていない。会場に持っていく為のペットボトル飲料を買わなかったことにも納得がいく。じゃあ、何故……? 「じゃあ、何で、わざわざ今日の早朝に神社にお参りに? 神社に行く前から五円玉を取り出すくらいだし、てっきり『志望校とご縁がありますように』ってお祈りしているものかと……。それに、『大学受験をしない』だったら分かりますけど、『大学受験ができない』って……」  また矢継ぎ早に質問してしまうが、彼女の暗い表情を見て口を閉じる。彼女は躊躇うように、それでもポツポツと話し始めた。 「……実は私、この近所にある児童養護施設で暮らしているんです。小さい頃に両親を事故で亡くしていて、祖父母や親戚も事情があって私を引き取ることができなくて、だから小学校の頃から私は施設育ちなんです」  予想以上に重い内容だった。初対面の私にそんなことを話しても大丈夫なのか、私なんかがこんな話を聞いてしまっても良いのか……。私の不安をよそに彼女は話し続けた。 「その施設は高校生までは受け入れてくれるんです。だから、高校三年の私はもうすぐ施設を出なくちゃいけない……。就活もして、もう就職先も決まっているんですよ。  でも、欲を言えば大学に行きたい気持ちはあったんです。施設には色々な事情を抱えた子が入ってくるから。こういう子たちを少しでも助ける為に何か出来ることはないかなって考えて、大学で福祉の勉強をしたいなって。それで、将来は児童相談所とか一時保護所とか、それこそ児童養護施設の職員さんになりたいって考えていました。  でも、現実は甘くないですね。大学の学費って凄く高いから。学費だけじゃなくて、入学試験を受けるお金も必要だし、教科書代や参考書代も馬鹿にならないし……。施設の職員さんにも相談したんですけど、『大学に行くのは贅沢なんだから諦めなさい』って言われちゃって……」  私は少し思うところがあって、口を挟んだ。 「あの……。差し出がましいアドバイスだとは思うんですけど……。奨学金を利用することは考えなかったんですか? 今は給付型も充実してるって話ですし……」  私の言葉に彼女は少し顔を顰めた。ただ、それは怒りとか不機嫌みたいな感情ではなく、「やっぱりそう思うよね」とでも言いたげな呆れたような、まるで今までも何回も同じことを言われたというようなうんざりとした表情。 「そうですよね。今は皆、そう言いますよね。制度は整っているし、君よりも辛い環境で自力で大成した人物も居るんだから、君も頑張りなさい。大学に行きたきゃ自力で努力して、それが出来なきゃ現実を見て就職しなさいって。  まぁ、もっともらしい正論ですよね。ただ、その正論は私を救ってはくれなかったけど……。  奨学金の制度を受けるには色々な条件があるし、そもそも奨学金の多くは借金なんだから、就職したら長期間に渡って返さなきゃいけない。でも、コロナのせいとかで不況だし、借金を返し終わるまで仕事を続けられる保証も、ちゃんと返せる保証もないのに……。給付型があるって言っても、そっちの方はより条件が厳しいし……。進学後にしっかりと勉強しなかったら打ち切られるって。  勿論、ちゃんと勉強する意思はあります。でも、私は施設を出て自分で生活しなきゃいけないんですよ。一銭の仕送りも無く……。生活費を稼ぐために夜遅くまでバイトしなきゃいけないから、勉強に割ける時間も限られるんです。毎日がバイト、バイトでその中で時間を捻出して勉強しなくちゃいけない。時間に追われる毎日でサークルとか飲み会に費やす時間もなくて多分、私、精神的に耐えられないでしょうね。同じ学年の友達が楽しそうにサークル活動や飲み会やってる姿なんか見かけたら、余計に辛くなるかも。  っていうか、そもそも入試に受からなきゃ大学には通えませんからね。でも、予備校できっちり対策してきた受験生より良い成績なんて取れるわけないじゃないですか。最近は予備校に行かなくても参考書とか学校の教科書とか、YouTubeの動画とかだけで難関大学に受かる人なんてのも居ますけど、あんなの一握りですよ。私なんて元々、頭も良くないのに……。  一応、努力はしてましたよ。学校から帰ったら、すぐにバイトに行って、その移動時間でバイトの先輩から譲ってもらった参考書を読み込むんです。施設に帰ったら、自由時間も勉強に充てて……。バイトは施設を出た後の生活費とか家賃を稼ぐ為に必要だったから、外せなかったですし……。施設の消灯時間過ぎてからも勉強してると怒られるし……。それでも、やれることはやってたつもりです。そこまでやって、ようやく平均より少し上の成績……。どれだけ頑張って自分の中でベストを尽くしても、入試なんて相対評価なんだから地頭の良い人や予備校に行っている人で努力もちゃんとしてる人には敵わないんです。今の成績の順位じゃ、とてもじゃないけど給付型の奨学金を受けられるどころか、志望している大学に入れるかどうかも……。これ以上、どう頑張れっていうんですか!?  こういう弱音を吐くのって甘えてますか? 私って我儘ですか? お金がある人が当たり前にやってることを私みたいな人が望むのって、そんなに悪いことなんですか? 施設の職員さんからも、学校の先生からも、クラスメイトからも、『我儘だ。甘えるな』って。私って、そんなに多くの人から激しく責め立てられるようなことを考えていたんですか?」    今までの鬱憤を吐き出すかのように、口から流れ出てくる言葉。彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出ていた。涙の滴がポタポタと垂れ、手やスカートの上に落ちる。  何か声を掛けてあげたかった。だが、掛ける言葉が見つからなかった。少なくとも、私に何かを言う権利はない。成績も大学に支払うべきお金もあって、それでも大学に行ってやりたいこともなく、「皆が行ってるから」、「将来が不安だから」という理由だけで……。誰かの受け売りの言葉で大学に行こうとしている自分には。  言葉が見つからずに押し黙っている私を見て、彼女は言った。 「一番、厄介なのは私に似た施設出身とか貧困家庭の境遇で、それでも人生が上手くいった人。難関大学に合格したり、大学に行かなくてもお金持ちになって人生に不安のない人。こういう人達は自分の経験談で物事を語るから、私の今の気持ちなんて少しも理解してくれない。私が今、抱えている辛さとか悩みとかを無視して『俺もこういう経験があるから理解できる。それでも頑張って上手くいったんだから、君も俺のようにやれば上手くいく。頑張れ』って……。何ですか、それ?  表面上の共通点だけ見て、私の人生を勝手に決めつけて……。でも、周りの人達は『あなたと同じような辛い環境だったんだから説得力がある』って言って納得しちゃう。その人の経験はあくまでその人のものなのに……。私の性格とか想いとかまで一緒とは限らないのに……。その経験や価値観を私にも押し付けてくるから嫌になる。  私は私なりの人生を歩みたい。ただ、それだけが望みなのに……。  ごめんなさい。貴方には全く関係ない話なのに、こんな恨み言みたいな台詞を聞かせちゃって……。  でも、受験生の貴方に聞いてみたかった。  『夢を見る私は悪人ですか?』って……」  一筋の涙が垂れている瞳で彼女は私をじっと見つめた。
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