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「あの、えっと……」
言葉に詰まる私。だが、彼女は涙を手で拭って、すぐに笑顔を戻した。
「……ごめんなさい! こんなの試験前の人に聞かせる話じゃなかったですよね。全部、忘れてください。本当にごめんなさい」
深々と頭を下げる彼女。
「いえ、そんな……。ちょっとびっくりしましたけど。心に刺さるものもあったし。喝を入れられたみたいで気が引き締まりました」
「え?」
不思議そうな表情の彼女に私は言った。
「今の私は何も考えてなかったかなって。受験することも、受験する大学も親とか友達とか、予備校の先生の言う通りにしてきたので……。
私、心配性なのであれこれ考え過ぎちゃうんです。だから、ずっと迷ったり悩んだりしたままで、結局、最後は両親とか予備校の先生とか、主張の強い人の意見をそのまま受け入れてたので……。貴方みたいに自分でちゃんと考えて、色々と悩みながらも答えを出せている人って凄いなって思います。
本当は私みたいな無気力な人じゃなくて貴方みたいな人が大学に行って、ちゃんと勉強した方が良いかもしれません。そう考えると、現実ってなかなか都合良くはいかないですよね。私の人生と貴方の人生を交換できたら良かったのに……」
私の言葉に彼女は首を横に振った。
「いいえ、そんなこと言わないでください。貴方は何も考えていない訳でも無気力でもない。ただ、色々と考え過ぎちゃうから人よりも悩む時間が多いだけです。その分、相手の意見を頭から否定せずに受け入れてくれる。主張の強い人の意見に従っちゃうのも、そういう側面があるからかもしれないけど。貴方みたいな人にこそ、学びは必要だと思うから。
さっきは色々と溜まっていたものを吐き出しちゃったんですけど、今はもう受け入れてます。全てに納得はできないけど、嘆いたり憂いたりしても何かが変わる訳じゃないから。今、私ができることで前を向いて進もうと思います」
憑き物が落ちた様子で彼女は笑顔を見せた。そして突然、ハッと何かに気付いた表情になる。
「っていうか、この話が本題じゃなくてですね……。さっき、私に聞きましたよね。試験のことじゃないなら、神社に何をお参りしに来たんですかって。答えは『貴方の大学合格祈願』です」
「えっ?」
私とこの人は初対面のはずだ。何故、初対面の彼女が私の合格を祈願するのだろう? 怪訝な表情で彼女を見ると、彼女はくすくす笑いながら説明してくれた。
「実は私と貴方、初対面じゃないんですよ。覚えていませんか? バス停で貴方が倒れたとき……」
「あ!」
彼女の言葉で思い出す。冒頭で私は「三日間、飲まず食わずの徹夜でぶっ倒れた」という話をしたと思う。ぶっ倒れた場所は、先ほどのバス停。バスを待っている最中にあまりの空腹と眠気から、ばたりと倒れ込んでしまった。確か、その時、誰かに介抱されたような記憶がある。「大丈夫ですか」という問いかけ、慌てて携帯で救急車を呼ぶ声……。そう、まさしく目の前にいる彼女と全く同じ声だった。
「学生証を確認して、高校3年生だって分かって。問題集を手に持ったままだったから、受験するんだなって。問題集の中のページが見えて、赤ペンとかマーカーで凄く汚れてたから、本当に頑張ってるんだなって思ったんです。
ちょうど、私が大学進学を諦めてた時の出来事だったから、私の分まで頑張って欲しいって思った……」
……そうだ。思い出した。直接、顔を合わせてはいない。何故なら、私の意識はぼんやりしていたから。そして、病院で意識がはっきりした時には目の前に居たのは看護師さんとお医者さんと両親だった。お医者さんからは「親切な人が救急車を呼んで助けてくれた」とだけ知らされ、その後、無茶な勉強の仕方をしたことを酷く怒られた。
「あの……。あの時はありがとうございます! 私、お礼も言えずに……」
慌ててお礼を言おうとしたが、その言葉は彼女が首を横に振ったことで遮られた。彼女は涙混じりの笑顔で言った。
「いいえ、むしろ貴方が私を助けてくれたんです。実はあの時、私、人生に悲観して自殺しようとしてたから……」
「え……」
衝撃的な彼女の告白に絶句する。
「道路に走り出そうとした瞬間に貴方が倒れたんです。放っておくわけにもいかないから、慌てて介抱して。で、その時、貴方の手から問題集が落ちて、とあるページが開いたんです。そして、ページの端っこにはこう書いてあった。
『この受験に失敗したら、私の人生が終わる』って」
私はハッとした。先ほどまでバス停でも同じように呟いていた言葉。当時も同じように考えていて、ページの隅っこに殴り書きをした。
「その言葉を見て、ハッとしたんです。お金があっても、成績が良くても、悩まない人や平気な顔をしている人なんていないって。私と立場が違っても、この人はこの人なりに悩んでいるんだ。大変な思いをしつつ、それでも努力してるんだって……。
だから、私も私なりに頑張ってみようって思えたんです。納得はできないけど、今の自分にできることで足掻いてみようって。だから、死ぬのはやめて、今、こうして生きてます。生きていて辛いこともあったけど、楽しいことや嬉しかったこともあったから。そのことに気付けて、死ななくて本当に良かった」
そして、彼女は首元の赤いマフラーを外す。外したマフラーを私の首に掛ける。そのマフラーはまるで私を抱きしめてくれているかのように暖かかった。
そして、彼女は微笑む。優しく微笑みながら両手を伸ばし、私をぎゅっと抱き締める。
「だから、今度は私が貴方に元気を与える番。たとえ試験の結果が悪くても落ち込まないでください。試験に失敗しても貴方の人生が終わった訳じゃない。生きている限り、そして自分の人生を悲観しなければ、きっと楽しいことや嬉しいことも起こりますから。
その赤いマフラーは私からのお守り。きっと、貴方に良いことをもたらしてくれるはず。もし、これから悩んだり迷ったりした時は私のことを思い出してください。貴方がどのような決断をしても、私はずっと貴方の味方だから」
その言葉を私は欲していたのかもしれない。友達も両親も予備校の先生も、誰もが掛けてくれなかった言葉を彼女が私にくれた。その言葉があるだけで、心配せずに私は私の生き方に自信が持てる。
私の右目から涙が溢れる。垂れた涙を彼女が指で拭ってくれた。
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