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……寒い。めちゃくちゃ厚着しているのに、冷たい風が首元から体の中に入り込んで全身を凍えさせる。やっぱり、マフラーをすれば良かったかもしれない。余計な荷物になるのは嫌だからといって家に置いてこなければ良かった。再び、冷たい風が首元やスカートの中に入り込み、体を凍えさせる。風も強いせいでロングヘアがバサバサと揺れる。「マフラーをしない」という判断ミスをした数十分前の家を出る時の私を、私は心の底から恨んだ。
腕時計を見る。時刻は丁度、午前6時。大学入学共通テストの開始時刻は午前9時半なので少し早く家を出過ぎたかなと思ったが、よく考えてみればその時刻は一科目目の地歴公民のテスト開始時刻だ。そのテストの開始前に用紙の記入とかトイレとか、済ませなければいけない事はたくさんある。それに多くの受験生が電車やバスなどの公共交通機関を使うだろうから、電車・バスの遅延で遅刻したり、はたまた道に迷う可能性や別の会場に間違って行ってしまう可能性も無くはない。早く家を出るに越した事はないだろう。
まぁ、試験会場は家からバスで10分程度の場所なんだけれども……。
私は昔から、「超」の字が付くほどの心配性だった。自宅から目と鼻の先に試験会場があるのに3時間前に家を出ている時点で察してもらえるだろう。
今朝も母に「朝ごはんはご飯とパン、どっちにする?」と聞かれ、5分くらい真剣に悩んだ。テスト前だから、なるべくお腹を壊さない物の方が良い。だけど、テスト中にお腹が鳴るのも嫌だからお腹に溜まるものが良い。真剣に悩んで、最終的には自分の右手と左手でジャンケンをして、「とっとと決めなさい!」と怒鳴られ、「じゃあ任せる」と言ったら食卓にはカツサンドが出てきた。
「じゃあ任せる」、「わかった。言う通りにする」……。私は生涯で何回、この台詞を使ってきただろう。心配性であれこれ悩んでしまう性格ゆえなのか、私は自分自身の意見を持ったことがない。
大学受験をする理由も特に行きたい大学や学びたい学問があるわけではなかった。憧れのキャンパスライフを思い描いているわけでもなく、4年間のモラトリアム期間が欲しい訳でもない。
仲の良い友達や周りの人間が皆、大学に行くから受験をする。
両親に「今のご時世、高学歴じゃなきゃ就職や結婚が大変だよ!」と言われたから、誰もが知る名門大学を第一志望にする。
予備校の先生に「勉強し過ぎてぶっ倒れない受験生は信用できません」と言われたから、水も飲まず食事もせず、三連続徹夜で勉強をして本当にぶっ倒れる。
他の予備校の先生に「今、努力をして良い人生を送るのと、今、勉強せずに遊びまくって辛い人生を送るのとどっちが良い? 簡単な二択だろう」と言われたから、自分の将来が心配になって、ただひたすら知識を脳味噌に詰め込む。
まとめると私が大学に進学する理由、そして受験をする理由は主に三つ。
1.周りの人達が皆、大学に行くから。
2.両親や予備校の先生が「(高学歴の)大学に行け」と言うから。
3.両親や予備校の先生の台詞から、大学に行かない選択をした自分の将来が怖くなったから。
自身の意思はほぼ存在していない。強いて言えば、「将来が不安だから」というのが唯一の自分の意思だろう。だが、それは他の受験生が目をキラキラさせて語るようなポジティブな理由とは程遠いものだった。
だから……。
(このテストで詰んだら、私の人生は終わる……。このテストで詰んだら、私の人生は終わる……)
私は脳内で自分自身に言い聞かせる。プレッシャーに寒さも相まって、体がガクガクと震える。私は立ったまま鞄からボロボロに薄汚れた日本史の一問一答を取り出し、尽くマーカーで塗り潰された用語をひたすらに頭に叩き込む。
バス停の時刻表によれば、試験会場行きのバスが来るのはあと10分。万が一、そのバスに乗れなくてもさらに10分後にはもう一台のバスが来る。流石に有り得ないとは思うが、万が一、いや兆が一、そのバス、或いはさらに次のバスに乗ることができなくても8時47分のバスに乗ることができれば試験には間に合う。
少なくとも、遅刻という最悪のトラブルは回避できると考えた私は、今度は試験問題について不安になる。
「……『政府は民権派の動きに対して□を出すとともに、□や□などを定めて自由民権運動を取り締まった』。一つ目の□は『漸次立憲政体樹立の詔』で二つ目と三つ目の□は『讒謗律』と『新聞紙条例』……。この問題が出たらどうしよう……。明治・大正の政治史は苦手なのに……」
まだ暗記できていない用語があることに不安を覚え、心臓の鼓動が激しくなる。目の前が真っ暗になりそうで、下手をしたら過呼吸にもなってしまいそうだ。取り敢えず、深呼吸をしなきゃ。私は大きく息を吸い込んだ。
その瞬間、私の足元に何か小さな物がコロコロと転がってきた。
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