パクるやつはどこにでもいる

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 プロジェクトを掛け持ちでやっていようとも、片方の手を抜くことは許されない。  報告会という名のありがたい説教をいただく会が三時間続いたこともあれば、諦めきれずにこっそりと別の合成ルートを試していることがバレて険悪な雰囲気になったこともある。話しても私が微妙な気持ちになるだけで特に面白みのない話なので、このあたりは割愛する。    ひとつ言えるとすれば、新しいことを始めるとき、はじめからうまくいくわけがないということだ。  やろうとしていることには何が必要なのか、どんなことに気をつけないと失敗するのか。そういうことを知って慣れるには、一ヶ月ではとても足りなかった。  約束の一ヶ月が経った。私は教授室の扉を叩いた。 「教授、報告書をまとめてきました」 「これまでの分と合わせてそこに置いておいてください。もう戻って構わない」  パソコンから視線さえ上げずに教授が言う。  戻って構わないとはどういうことだろう。今日で期限の一ヶ月が終わる。てっきり何か話すと思っていたのだが。   「その、プロジェクトと、チームのことなんですが――」    正直なところ興味のあるテーマではない。けれど一ヶ月やってみると、やりたくないというほど嫌いなわけではないと分かった。そう言おうとした瞬間、「ああ」と思い出したように教授は視線を上げた。 「もうやめてもらって構わない。君は川村先生のチームから移動したくないんだろう。無理強いはしない。それは君が選ぶことだ」 「えっ?」  突き放すような教授の言葉は続く。 「思った通り、あまり進まなかった。以前別の学生にもやってもらっていたが、やはり学生では難しいんだろう。ポスドク(博士号を取った後で武者修行している若い研究者)を雇うことになったから、君はもういい。今までご苦労だった」  クビにされるときってこういう気持ちなんだろうな。  呆然としながら、私は教授室を出た。何とあいさつして出てきたのかも覚えていない。短い期間だったけれど、それでもあれは私のデータだ。それを取り上げられて、用済みだとばかりに話を切られてしまうのは、なかなかにみじめなものだった。  これからどうすればいいのだろう。  廊下で途方に暮れて、ふと気づいた。 (そうか、だからみんな消えるんだ)  チームが違うのに教授室に出入りしていた人がいた理由。ふっと糸が切れたように来なくなってしまう理由。  なぜだろうと思っていたけれど、多分こういうことだったのだろう。もちろんひとりひとり状況は違うだろうけど、いなくなってしまった人たちの気持ちがなんとなく理解できてしまった。  私もやめてしまいたかったけれど、できなかった。  私の実家はそこまで裕福ではない。それでも奨学金を借りるよりはと言って、大学院までお金を出して行かせてくれた。あと一年頑張れば、その優しさに報いることができる。こんなところでやめるわけにはいかない。 「おかえり。教授との話は終わったの、赤井さん」 「……はい」 「なんだか疲れてるね。まあ教授と話すの、緊張するもんね。お疲れさま。じゃあ今日はこれもお願いできる? そろそろ学会シーズンだし、区切りのいいところまで進めたいでしょう?」  へろへろの状態で窓の近くの席に帰ると、いつものように川村先生が声を掛けてくれた。  途方に暮れているときに、何をしたらいいのか逐一教えてくれる人がいる。するとどうなるか?  追い詰められた私にとって、川村先生の言葉は救いだった。 「大丈夫。僕は君の味方だよ。僕の言うことを聞いていればいい」  今思えばどこの悪役だよというセリフだが、当時の私にとってはそれがこれ以上なく優しい言葉に聞こえた。 (出典さえ示せば、許される。川村先生はそう言った。教授だって言っていた。不正をしてるわけじゃないんだから、いいじゃないか。私ひとり、悩まなくたって)  言い訳のしようがない。私は我が身かわいさに、悪いことを悪いと分かっていて続けることにしたのだ。
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