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三年間は水の泡
修士二年。
こんなことを続けるべきではないという罪悪感と、どうしても卒業したいという気持ちの板挟みで、私は胃が痛い日々を送っていた。もうこのころになると心より先に体の方が研究室に行きたくないと訴えるようになっていた。朝起きるとひどくめまいがして、戻してしまうこともあるほどだった。良性発作性頭位めまい症という長ったらしい診断名がついたけれど、多分ストレスが原因だろう。
状況が変わったのは、これまた秋のことだった。呪いの季節である。
私はいつものように、ネットサーフィンならぬお気に入りの論文サイトの更新チェックをしていた。毎週の少年ジャンプの更新も待ち遠しいけれど、毎日の論文の更新を見るのも心が躍る。
すいすいすい。ホームページをスクロールしていたその時、見覚えのある名前を見つけた。
(ああ、パクられ元の人か)
十年前は私たちと同じ研究をしていたみたいだけれど、今はどんなことをしている人なのだろう。クリックして論文を開くと、そこには見覚えのあるターゲットが書かれていた。
私のターゲットの構造である。ターゲットどころか、合成経路も一緒だ。ちょうど今、私が苦戦しているところの答えまでもが美しく描かれていた。
どうやらあの人は十年間諦めずに研究を続けていたらしい。
(わあすごい。あのパクられ元の論文のまま、進化して完成してる。よく終わらせたなあ)
それがどんなに難しいことなのかは、三年間毎日同じ化合物を触っていたからよく知っている。まじまじと見ていると、たまたま後ろを通りがかった同僚が、なぜか私以上に慌てながらパソコンの画面をのぞき込んできた。
「えっ! これ赤井さんの研究と丸かぶりじゃない⁉ うわ、こんなこと本当にあるんだ」
「それは……そうですね」
被らせたのはこちら側だが。
「災難だね。もう修士も卒業間近なのに……これじゃ赤井さん、論文出せないじゃん。三年間もやってたのに」
「論文」
そうか。研究をして成果を出せば、普通は論文になるのだ。
そんなことも忘れていた。何しろ私がやっていたのはことあるごとに『意味のない』と言われ続けたパクリ研究なのだから。そんなこと、考えるだけでも盗人たけだけしい。
「大丈夫? 赤井さん」
「えっ?」
同僚は心配そうな顔をして、小さく声をひそめた。
「笑うしかない状況だもんね……」
どうやら私は笑っていたらしい。笑うしかない状況というのも確かにあるけれど、私は多分、ほっとしていたのだと思う。
悪いことをすれば罰が当たる。天はちゃんと見ているんだなあと思った。
私の研究は完成間近だった。だけど、完成してなくて良かったなと思ったのだ。
素敵なアイデアを最初に思いついた人こそが報われるべきだ。私は自分がその功績を掠め取らずに済んだことにほっとしていた。
するべきでないことをしてしまったという事実は変わらないけれど、これで被害を被るのは私と川村先生だけだ。まさしく自業自得である。
(これからどうしようかなあ)
一気にお先真っ暗になってしまったけれど、気分は不思議と晴れやかだった。
なお、晴れやかだったのは私の気分だけだったらしい。
その夜、そろそろ寝ようかと思ったころ、川村先生から電話がかかってきた。
時計は午後十一時をまわったころである。
『今から研究室に来られる?』
聞いたこともないような深刻な声でそう言って、川村先生は深夜に私を呼び出した。
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