そうだ、海外に逃げよう!

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そうだ、海外に逃げよう!

 深夜の呼び出しだからといって怖がることは何もない。なにしろこのラボはブラックで、いつ行ったって人がいるからだ。 「赤井さん、なんで教授に言っちゃうかなあ」  開口一番、川村先生はそう言った。  なぜも何もあるものか。深夜で眠かったこともあって言葉を飾る余裕もなかった私は、思ったことをそのまま口に出した。 「まったく同じ研究が論文になっていたら、それは報告するに決まってるじゃないですか。だって、この先どうするか考えなくちゃいけないでしょう」 「僕だけに言ってくれれば良かったんだよ。教授が自分で気付くまで黙っておけば良かったんだ。そうすればあと何か月かは時間が稼げたのに」 「遅いか早いかってだけの話じゃないですか。なら早いに越したことはなくないですか」 「計画出せってまたうるさくなるよ。教授に怒られるのは僕なんだ」  なんだろう。会話が噛み合っていない気がする。今後の方針を話し合うために呼び出したのではなかったんだろうか。これではただ愚痴を聞いているだけだ。    不毛なやり取りは午前二時半まで続いた。嫌がらせのためだけに呼び出したのかと疑いたくなる。    なぜ途中で帰らなかったって? 話を切ろうとするたびに、 「赤井さん、推薦状が欲しいんじゃないの。奨学金に申し込むのにいるんでしょう」  という悪魔のような言葉が出てきたからだ。  ようやく解放された二十七時、実験していた同僚と苦笑いを交わして帰宅する。  寝る気にもなれなかったので、私は布団の中でぐるぐると『奨学金』と『推薦状』について考えていた。 (この研究室で博士課程まで行ったら死ぬ気がする)  心が先か体が先かは知らないが、確実にどちらか壊れるだろう。    そもそも博士課程を卒業するための論文数は決まっていて、このラボではそのうちの半分を修士卒業までに出しておくのが定石だ。現時点で論文ゼロ確定の私では博士号を取るのに何年かかるか分かったものではない。    別の大学か研究室にうつることも考えた。でも、修士課程からならともかく博士課程からうつる例というのは聞いたことがない。第一、学会でこのラボの教授たちに会ったら気まずいどころの話ではない。    就活? するにはあまりに遅すぎた。みんなもう決まった後だ。   (就活……就職……お給料が出るのか。いいな)  考えるだけで羨ましい。同じブラックでも無給ブラックラボより給料のあるブラック会社の方がまだ頑張れる気がする。 (給料の出るブラックラボ、ないかな……ん?)    そのとき、私は大学に入ったばかりのころに受けた講義をふと思い出した。やたらと英語がうまいどこかの先生が、こぼれ話のように語った話を思い起こしたのだ。   『アメリカやヨーロッパ――海外の大学院では、給料が出る。授業料もかからない。だからぜひ、色んな人に挑戦してもらいたい』  天啓だった。   (そうだ。顔を合わせたくないなら、いっそ海外に逃げればいいんだ!)  布団から出た私は、すぐさま己の成績表と英語のテスト結果を探し出した。同時並行で大学院の申し込み条件についても調べていく。  成績はいける。Sランクを揃えるとエンディングが変わるゲームを嗜んでいたこともあり、現実でも私的なこだわりでSかAしか取らないようにしていた。    英語もいける。申し込みの最低基準はぎりぎり超えている。喋るのは下手なのでコミュニケーションに難は出るかもしれないが、日本語だろうがおしゃべりは苦手なので問題ない。むしろ『ワタシ、外国人デス。英語ヘタ』という免罪符ができてコミュ障的に楽になる気がする。  推薦状。もともと奨学金のために先生方に頼んである。ハンコだけ押すから自分で書いてきてという怠惰な先生のために、ひたすら自分で自分を褒めちぎった文も用意してあった。翻訳すればいいだけだ。 (完璧じゃん?)  締め切りは年末。  別にハーバードやらバークレーやら、そんな有名どころに行きたいわけじゃない。私は博士号がとりたいだけだ。体も心も壊さずに研究がしたいだけ。要はここから逃げられればいいのだ。  場所さえ問わなきゃいけるはず!  私は死に物狂いで書類を用意した。  幸いにして教授は海外志向の強い学生が大好きだ。快く応援してもらい、年末までにアメリカとヨーロッパの大学院にいくつか申し込んだ。  かくして私は、修士課程を卒業すると同時に、ひとつのオファーを手にしていた。アメリカの田舎にある、小さな大学院からの合格通知だった。
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