05

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現れたシャトを見てノクは両目を見開いていたが、スピリーは笑みを浮かべていた。 少し憂いを含んだ笑顔のまま、スピリーは小さく頭を下げる。 「久しぶりですね、シャト。また会えて嬉しいです」 シャトはそんなスピリーに笑みを返すと、(ひざまず)いているノクと並び、彼と同じように両膝をつく。 それから深く頭を下げ、スピリーに言う。 「僕もノクと同じです。山の精霊スピリー、あなたにお願いをしたくてここへ来ました」 「シャト、お前……くッ!?」 並んで土下座する幼なじみの姿を見て、ノクは涙が止まらなくなった。 彼は長らく見ていなかったシャトの姿を、涙で滲む目で見つめる。 変わらぬ中性的な顔立ちに、母性を感じさせる垂れ目。 体の至るところにある痣は、きっと大人たちに無理やり剣の稽古をさせられてついたと思うと、彼はさらに涙が止まらなくなった。 「そんな顔しないでよ、ノク。スピリーが困ってるじゃないか」 「うるせぇ……うるせぇよ……。お前だって目が腫れてるじゃねぇか……」 ノクは慌てて涙を拭うと、再び花々に額を押しつけた。 二人の男の土下座を前にし、スピリーは弱々しい声で顔を上げるようにお願いする。 ノクとシャトは、言われるがまま精霊のほうを見た。 透き通った肌に、輝く髪を持つ姿。 自分たちは大人になったが、スピリーの姿は子どもときに出会ってから何一つ変わっていない。 呆けた顔で見つめる二人に、スピリーは口を開く。 「山猫族に起きていることには、私も心を痛めていました……。しかも、まさかあなたたちが闘うことになるなんて……」 スピリーは、一族の派閥争いをずっと山から見ていた。 そして、両方とも消耗して限界となり、古来よりの風習――決闘を持ち出し、ノクとシャトがその代表者に選ばれたことも。 「ですが、私は現世に関与できない……。精霊は人間の世界に立ち入ってはいけないのです……」 呟くように言ったスピリーの目に涙が流れた。 彼女の流した涙は、やがて光となり、ノクとシャトに降り注ぐ。 暖かい光の粒を浴びながら、二人ともまた涙ぐんでいた。 拭い、堪えていた雫が溢れ、力なく俯く。 山の精霊でも無理なのか。 ならばどうすればいいのか。 泣きながら花々を見つめるノクとシャトに、スピリーは声をかける。 「逃げなさい。あなたたち二人、どこか遠くの土地で暮らすのです」 スピリーはノクとシャトに、この地から離れるように言った。 そうすれば傷つけあうこともなくなると。 「本心を言えば、いつまでもこの土地にいてほしい……。ノクとシャトは、私の大事な友人なのですから……。しかし、それでも二人には闘ってほしくない……」 もう大人たちに振り回されることはない。 二人は自由を手に入れるのだと、スピリーは本音を口にしつつも、それがノクとシャトのためになると言ったが――。 「だけど、僕らが逃げたら子どもたちが……」 シャトは、一族にいる幼い子らのことを口にした。 彼ら彼女らは、これからも山猫族のしきたりに縛られ、辛い思いをし続ける。 それだけでは済まず、子どもたちが大きくなれば幼き日に受けたことを、そのまま下の世代に()いるようになるかもしれない。 そうなれば山猫族は、子々孫々まで愚かな争いが続き、自分たちのように苦しむ子が増えていってしまう。 なんとかそれだけは避けたいと、シャトは今にも消えそうな声でそう言った。 彼の言葉に、ノクも思うところがあったのか。 グッと拳を握ると、口を開いた。 「そうだよな……。俺たちだけが良ければいいって、それじゃ親父や老人たちと何も変わらなねぇ……」 「ノク……」 見つめ合う二人。 このときスピリーは、どうして二人には自分の姿が見え、話せているのかを理解した。 そして、彼らがそう考えるならばと、現在、未来と山猫族の子らが苦しまない方法を伝えた。 「辛い決断ですが、もしあなたたちが望むなら、山猫族の子たちは救われるでしょう……」 ――そして一週間後。 両派閥の代表者による決闘の日となった。 当然これまで争っていた者たちが一堂に会し、広場の中心で向かい合っているノクとシャトに視線を送っている。 「話していたとおりに行くぞ」 「うん。バレないように頑張らないとね」 周囲には聞こえないように、ノクとシャトは言葉を交わし合った。 すると始まりの合図もかねて、二人の周りに油が巻かれて火を付けられる。 立ち上がった炎が彼らを囲んでいく。 「準備は整った!」 「これより山猫族の風習に乗っ取り、決闘の儀式を執り行う!」 両派閥の老人が二人、声をそろえて言葉を吐いた。 歓声が上がり、多くの者が踏みしめたせいで地面が震える。 ノクとシャトはゆっくりと深呼吸すると、同時に石剣を構えた。 見つめ合う二人の目に迷いはない。 互いに剣を振り、広場にカンッと石のぶつかり合う音が鳴り響いた。 それは轟々と燃える火をかき消すような――まるで岩が河原へ落ちてきたかのような衝撃を周辺に与える。 決闘は、ノクの絶対優位か、または手を出せない彼をシャトが攻める内容になると思われたが。 二人は、両派閥を驚かせるほどの闘いを見せていた。 非力なシャトは、反射神経で剣の軌道を見極め、上手く受け流しては躱し、ノクもまた自慢の剛腕で剣を受けたシャトを吹き飛ばしていた。 両者とも正反対の闘い方だったが、その勝負はほぼ互角だった。 覚悟を決め、幼なじみを殺すことに躊躇のないノクに、老人たち大人からさらなる声援がわく。 それはシャト側の者たちも同じで、シャトの母など息子の雄姿に感極まり、その場で泣いてしまっていた。 激しい闘いの末、やはり自力で勝るノクの剣がシャトの隙を突いた。 突かれた刃は完全にシャトの顔面を捉えている。 これはもう避けられないと誰もが思った。 シャトのほうも破れかぶれとばかりに己が剣を前に出しているが、彼の死は避けられないはずだった。 「なッ!? ノクッ!?」 刃に貫かれたのはノクのほうだった。 彼の剣はシャトの頬をかすめただけ、反対に相手の刃が腹に突き刺さっている。 決闘はシャトの勝利だ。 シャトは剣を捨て、倒れたノクに駆け寄った。 筋骨隆々の体を抱きしめ、彼に声をかけ続ける。 「ノク、ノクッ! なんでだよ!? 話が違うじゃないか!? 僕が……僕が殺されるはずだったのにぃ……」 噴き出す血が命が尽きていくのを感じさせた。 ノクはもう助からない。 シャトは彼を抱きしめ、泣きながら言葉をかけ続けた。 口から血を吐きながらも、ノクはそんな幼なじみを慰めるように口を開く。 「わりぃ……やっぱ打ち合わせどおりに、は……できなかったわ……。俺に……お前は、殺せねぇよぉ……」 「ノク……ノク……」 ただ名前を呼ぶことしかできない。 死に行く大事な者に何もしてやれない。 自分が剣を突き刺した相手を泣きながら抱くシャトの姿に、両派閥とも言葉を失っていた。 老人や大人たちの顔には後悔が漏れ、シャトの母親は涙を流して喚く息子に胸を痛めていた。 子どもたちは男女問わず泣き散らし、まだ明確な意識のない赤子まで叫び出した。 シャトはノクの体を抱き直すと、まるで花を愛でるような目で彼を見つめる。 「愛してる……僕は、ノクを愛してる!」 「知ってる……。昔から……ずっとな……」 ノクは山猫族すべてに看取られながら、その短い生涯を終えた。 シャトは非力な腕で彼の体を抱きながら立ち上がると、拾っていた剣を掲げて吠える。 「これより僕……私が山猫族を仕切る! 儀式に乗っ取り、もう誰も私の言うことに逆らうことは許さぬ! 文句がある者は前へでよ! 我が半身ノクの魂と共に、その者の命を奪うぞ!」 ――それから数十年が経ち。 山猫族には、以前のような一族同士の争いは起きていない。 新たに長となった男とも女ともわからぬ人物が、これまでの古い風習を改めたことで同族で血を流すことを禁じたからだ。 小さな小競り合いや嫉妬、相手を気に食わない心は消えはしなかったが、定められた掟によって、山猫族は長が亡くなった後も何十年と平和が続いていったという。 その平和が、運命と戦った二人のおかげだということは、誰にも知られていない。 「シャト、長い間ご苦労さまでした。さあ、行きましょう。ノクがあなたを待っています」 頂上から山猫族を見下ろす精霊が、ふと彷徨う魂を見つけると、泣きながら微笑んだ。 了
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