No.2 最高のリレーを捧ぐ[猪俣隼人 6月3日]

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9. 最高のリレー 閉会式を終えたあと。皮肉にも今は雨雲は過ぎ去って、雲の隙間から差し込む日差しが眩しい。 「昔の怪我は一見治っているように見えても、皮膚の下ではまだ完治していないことがある。雨などの影響により気温や気圧が低下することで、自律神経が活性化し、その部分が再び痛む、それが古傷というものだろう?」 諫山くんが珍しく、本を手にしたまま言った。この人でも、あまり詳しくなかったんだ。いつの間に、どこから持ってきたんだろう。手には、何かの医療関係の本があった。 「古傷ですか……」 「お前、厨二病じゃないんだからさぁ」 渋谷がそう言って笑ったけど、周りの空気が完全にそれを無視している。なんかごめん。と慌てて口にする渋谷。 運動場の隅っこの長椅子に、私たちは並んで座っている。バースデー係の四人と、今回の“主役”、猪俣くん、それから若宮くん。 「渋谷だって知ってるだろ」 若宮くんが誰とも目を合わせずに、どこか投げやりに、地面をじっと見つめたまま言った。 「2年の頃の、あの冬」 「ああ、サッカーやってた時の。俺多分あの日、なんかの用事で早退してた」 あっさりと受け流す渋谷に、若宮くんは深く息を吐いた。というか、今ここにいる諫山くん以外の男子三人、みんな昔同じサッカークラブに入ってたってこと? 若宮くんがわざわざ私たちに説明してくれた。 「2年まで全員一緒だったんだけど、俺あのあと半年ぐらいでやめたから。渋谷いつまでいたっけ」 「3年の終わり。猪俣は結構最近までやってたよな?」 「去年の夏でやめた」 そっか、みんなやめた時期はバラバラだったんだ。 「だからあれは……全員揃ってた最後の冬……猪俣と俺と、5人くらいでサッカーゴール運んでて。あんま覚えてないけど、なんかふざけながら運んでたんだろうな。俺がいきなり手、離しちゃって、そのままゴールが傾いて、それで……挟まれたんだ。猪俣の右足が、地面との間に……ずっとそれが、俺の中の、負い目で」 途切れ途切れだった。声が震えていた。相変わらず、視線の先は地面にあった。にしても、本人の前でそんな話をするなんて。猪俣くんもそんな若宮くんの内面は初めて知ったらしく、ただ目を見開いたまま、じっと若宮くんを見ていた。 「誰も若宮のせいだとか言ってないだろ」 困ったように少し笑って、猪俣くんはそう言う。 「マジで風強かったもん、あの時。一人手離したぐらいじゃ普通倒れないし、てか風に煽られたんだよ俺。それで勝手に」 「ほらまたそうやって……だから言いたくなかったんだ」 若宮くんが初めて顔を上げた。 「今回のことも、そうだ。俺さ、ずっと猪俣を抜きたくて仕方なかった。どんなことでも、なんでも、猪俣の上を行きたくて。リレーのアンカーだって最初は本気で奪うつもりだったし、だけど、途中からわけわかんなくなって。なんでかまた、あの日を思い出して。迷ってた」 そうだったんだ……。 多分ずっと、若宮くんの中で葛藤みたいなものがあったのかもしれない。猪俣くんに勝ちたいって気持ちと、あの日の負い目を感じてそれを抑えようとするもう一人の自分。迷ってたからこそ、態度が冷たかったのかもしれないし、それだけ自分が追い詰められてたのかもしれない。でも、それを知っていながら、今日のリレーの直前、自信無くなった、って言った猪俣くんを見て、 若宮くんはどう思ったんだろ。
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